デシの『人を伸ばす力』(2)自律と動機

(1)のつづき

第三章、自律を求めて

人間の身体に生理的欲求があるように、心にも生得的な心理的欲求というものがあります。
それが自律性の感覚であり、自己が行為のコントロール源であるという経験への欲求です。
生理的欲求が満たされないと健康を害するように、心理的欲求の阻害もも精神的な不健康を生じさせます。

では、この欲求を阻害する統制の形態には、報酬の他にどのようなものがあるのでしょうか。
「脅し」、これは直接的な罰ではなく、罰を避けたいという気持ちを利用して人を動機づけるものです。
例えば、勉強しなきゃテレビを見せない、ノルマを達成しなければ解雇だ、などです。
他には、期限の設定、目標の押し付け、監視、評価、競争、などです。
しかし、これらのものは私たちの日常のいたるところにあり、あたかも私の生活そのものがチェスのコマのような境遇です。

だからといって何の統制もない原始的な自由の生活に戻ることもできませんし、必要でもありません。
あくまでも、人の精神を壊すことのない組織のあり方や人の動かし方を模索することです。

その前にまず、内発的動機づけを高める要因はなんであるかを検討しておきます。
実験の結果分かったことは、統制の圧力によって内発的動機づけの感覚を低下させるのに対し、自由な行為選択の機会を与えられれば、内発的動機づけの感覚は高まるということです。
例えば、パズルを解くに際し、そのルールや条件を自分達で自由に決定させたグループの方が、動機づけが高まります。
課題を遂行するにあたって、ある程度の自由裁量が許されれば、その活動により熱心に取り組み、楽しみます。

選択の機会を提供することは、人間の自律性を支える主要な条件です。
他者を管理、教育する立場にある人はこのことを踏まえ、検討する必要があります。
意味のある選択が自発性を生み、自ら考え選択決定することによって、自分の行為を根拠づけ自己に統合し、納得して活動することができます。
それは、先ほど挙げた自由意志の感覚の欲求が満たされることです。
道具や手段ではなく、一人の人間として扱われていると感じるのです。
自分に権限を感じ(いわゆる自信)、責任感が芽生えます。
逆に、何の納得もなくやらされる行為、理由や意味が他者の中にある行為は、自己を不在にし、疎外された行為の徒労の中で、人は疲弊し無責任になっていきます。

勿論、選択の機会が与えられても、本人が判断のための十分な情報を持っていなければ、自律性の感覚どころか負担を感じるだけです。
不安の中で安易な決定をし、多くの誤りをおかすことになります。
十分な説明もなしに他者に選択の機会を与えても、それは無意味なものでしかありません。

では、本題である統制と内発的動機づけの友好な関係性というものを考察します。
報酬の効果というものは、それを与えられる人がその報酬の意味をどのように解釈するかという心理的意味づけによって大きく変わります。
おおむね人は報酬を統制や心理的圧迫と解釈します。
しかし、ある特定の適切な条件下であれば、報酬を自分の貢献に対しての客観的な評価や純粋な感謝の証として解釈し、内発的動機づけを低下させません。

報酬を与える人の意図や態度が重要なのです。
自分の思惑を他者に押し付け、他者を統制しようという意図と態度で報酬を用いる者の行為は、必然的に受け手に統制という解釈を与え、内発的動機づけを低下させます。
報酬を与える側の本心というものは、報酬を与える際の態度や言葉を通して現れ、受け手に伝わります。

実験の結果、統制する仕方で報酬を与えられると、被験者は心理的な圧迫を感じると同時に、課題への興味を失い、内発的動機づけを低下させました。
報酬を利用して他者を統制しようとすればするほど、むしろ逆に促進しようとする動機づけそのものを破壊してしまうのです。
統制の色のない態度で報酬を与えた被験者には、望ましくない効果は少ししか見られませんでした(中立の態度でも動機づけの減少は明らかにあり、それだけ人は報酬を統制的に解釈しがちだということです)。
この実験結果は、マイナスの効果を最小限に抑えるような報酬の与え方もあるということを示します。
統制の意図が少なければ、それだけ有害な効果も減るということです。

報酬、強要、脅し、監視、競争、評価、これら統制の手段は社会を成立させるために必要なものでもあります。
問題は自律性の尊重と行動の制限をどのように関係付ければ折り合いがつくかということです。
他者の自律性を支えるという事は、他者の視点、他者の立場で考えた上で、その人の好奇心や自発性や責任感を、積極的に励ましていくことです。
例えば「○○するな」と言うのではなく、「○○する気持ちはよく分かる、でもそれをしたら××になってしまうから駄目なんだ」というように、子供の自律性(立場)を尊重しつつ、きちんと制限の意味を語ることで納得され、それが自己に統合されます。
その実験の結果は劇的なものでした。

制限を与える立場にいる人間は、その対人関係のあり方ひとつで、人の経験を生かしも殺しもします。
制限は社会的責任を育む上で必要なものです。
相手を統制のコマとして扱うではなく、制限される側の立場に立ってその主体性を確認することに依って関係を築く事で、自律性を損なわず責任を持たせることができます。

第四章、動機づけがもたらすもの

本章では、内発的動機づけと外発的動機づけがそれぞれ何をもたらすかということを考察します。

「外発的動機づけ」
報酬のような外的なものが目的となるため、当の行為そのものが非常に表面的な上辺だけの活動になります。
成果のためなら手段は選ばず、過程などどうでもよいというプラグマティックな発想です。
ただ机に向かって勉強するふりをするだけの子供、努力による成績ではなく同僚を陥れたり上司に媚びたりすることによって昇進する会社員、消費者心理につけ込んだ広告とマーケティングで粗悪な商品を売る企業、等々。

「内発的動機づけ」
目的がその行為自体に内在し、非常に充実したものとなります。
目的が内在するという構造は、私と目的との間隙をなくし、必然的に無時間的な没頭というものを生み出します。
ワクワクするような気持ちで満たされ、集中が持続し、いわゆる「フロー」状態として体験されます。
これは、外的な目的に向かう「通勤」と、歩くことそのものが目的である「ハイキング」の違いに似ています。

では、これらの動機づけの違いが具体的にどのような差として表れるのか、教育の現場において実験を行いました。
まず、二つに分けた被験者のグループにある学習をさせます。
一方には後でテストをすると告げ、もう一方には後で学習した内容を別の人に教えて貰うと告げます。
前者は統制されていると感じる他律的な文脈で、後者は後に自分が活用するという自律的な文脈で学ばせます。
その学習の成果はというと、テストを告げられた方よりも、テストを告げられなかった方(彼らは学習後にテストをされることを知らない)が学習内容をよく理解していました。
さらに実験を続けると、テストを告げられた方は機械的な暗記においては上回っていましたが、その記憶内容は数日で忘却し、一週間後の再テストにおいては下回りました。
結論として、評価を目的として学んだ場合、量的には上回っても、十分な情報処理がなされず、本質的な理解に欠いていることです。
本質につながれていない表面的な知識は当然容易に流れ去り、最終的には何においても劣等な成績を残すことになります。

その他の実験や他の研究者の導いた結果に照らせば、内発的動機の方が優れた成果を生み、行為者自身の思考力、創造性、活動力、興味、集中力等が発揮され、社会にも個人にも有益なものがもたらされるのは疑いのないところです。
報酬や統制によって成果の上がる文脈というのは、非常に限られた範囲内の特殊な事例であり、それを一般化することには問題があります。
また、外発的な動機づけを利用する場合、二つの点に留意する必要がある。
まず、報酬を使い出したら、もう後戻りはできないということです。
最初のパズルの実験のように、報酬を与えた瞬間から、行為の質が根本的に変わり、その後報酬をなくしたり減らしたりすれば、期待した行動もパフォーマンスも消え去ってしまうということです。
次に、人はいったん外的目的に関心を向けると、それを獲得するための手っ取り早い方法を選び出すということです。
それは最も短い時間と手間で取り繕った上辺だけの成果や行動を生みます。
例えば、子供に本を読ませようとスタンプカードを作って、図書館で借りた本の冊数に合わせてご褒美をあげれば、子供は本を読まずにただ貸し出しと返却を繰り返すだけです。

(3)へつづく