差別とは何か(2)

(1)のつづき

そもそも差別はいけないことなのか

最近、差別をしている人を非難すると、「あなたは差別する人を差別する人だ」と批判し返す人達が目に付きます。
当たり前のはなし、いきなり相手を暴行する行為は犯罪であり、殴られた時にだけ殴り返すことは正当防衛として扱われます。
同じ暴力でも、コンテクスト(文脈・状況)が違っている以上、暴力の意味も違っているのです。
それと同様、何の根拠もなくいきなり相手を差別する人と、差別する人を非難する人では、根本的に意味も次元も異なっています。
なので差別への非難は正当なものとみなされます(過剰防衛のように過剰なあり方でなければ)。

しかし、これはよく考えるとそう単純な問題でもないようです。
この差別する人の自己言及的な言葉の意味するところは、よく小学生が口にする「いじめは個性」という言葉と同じ構造をしています。
「個性(区別)を大切に、いじめ(差別)はいけません」という先生に対して、反抗的な生徒は「いじめ(差別)も個性(区別の一種)だろ」と切り返します。
この議論はたぶん生徒の方に分があります。
なぜなら先生が暗黙の前提としている価値観を突いてきているからです。

秩序と混沌

では、先生(差別を批判する人)が暗黙の前提としている価値観とはどういうものでしょうか。
それは端的に社会秩序です。
先生の価値観とは、秩序ある社会はよい社会であり、秩序ある個性を生徒に与えることが幸せにつながる、というものです。
個性(区別)を大切にといっても、あくまでそれは秩序の内においての個性であり、原理的に秩序の外に個性は存在することができません。

混沌とした事物を秩序立てる論理的な区分には、いくつかの暗黙のルール(規則)が必要です。
1、その外部に何も残らないように、すべてのものがひとつの大きな容れ物の中に統括されていること(網羅性)。
2、その空間の中でそれぞれのものの分類が、互いに重複してはいけない(排他性)。
3、分類されたものがすべて同じ階層にあり、その階層を越えたメタレベルの分類をしてはいけない(一貫性)。

「先生がそれぞれの個性(区別)を平等に扱えと言うなら、個性を不平等に扱うこと(差別)もひとつの個性だろ」と反抗的な生徒は批判するわけですが、こういう理屈の構造を自己言及と言います。
この自己言及は3の一貫性のルールを破り、秩序を崩壊させるものです。
しかし、これは先生自身が気付かないうちに採用している論理規則なので、たぶん先生は生徒が何を言っているか分からず、聴く耳を持たないでしょう。

結局、先生の前提とする価値観とは秩序であり、反抗する生徒の前提とする価値観は混沌です。
これはどちらが正しいと言うこともなく、どういう社会のビジョン(理想)を持っているかの問題です。
秩序立った共同の世界を望むか、混沌とした闘争の世界を望むか。
勿論、学校とは子どもの社会適応を目的とし、社会秩序を学ぶべき場所であるため、そのルールを守れないのなら、此処を出て好きなように生きろ、ということになります。

しかし、この反抗的な生徒(差別する人)というものは、リアルに社会秩序の崩壊した混沌とした世界を望んでいるというよりも、社会秩序というものに全面的な信頼をもち依存しているからこそ、反抗しているともいえます。
自分の親は自分を捨てないという確信があるからこそ、それを見越して反抗する子どもにも似ています。
窮屈な秩序の世界で模擬的に混沌を演ずることで、ある種のガス抜きをして、秩序(社会)や個性(人格)の全面的な崩壊を避けているようにも思えます。
また、秩序の中で個性を見出せない人間が、秩序に反抗すること(個性を否定すること)によって、逆説的に自分の個性(居場所)を確立しようとする虚しい行為ともとれます。

混沌への志向

いま現在、日本のみならず、世界中で差別というものが扇動され、次々と対立が生み出されています。
この大規模な混沌への志向は、たんなるガス抜きや秩序の調整というよりも、もっと別のものを目的としているように見えます。
それはテクノロジーによって世界が結びつき、グローバルな統一によってローカルが呑まれる恐怖から、必死で自己の存在を守ろうとする排他的な抵抗でしょうか。
それとも社会そのものが調和を志向する世界に飽き飽きし(というより不可能になり)、混沌を志向する万人闘争の世界を求めているのでしょうか。
しかし、これら差別や対立は、新しい社会のあり方を模索する産みの苦しみというよりは、虚無を志向する不気味な「死の欲動」のようなものにも感じられます。
複雑になりすぎた世界の中で人間がもう死にたがっている、人間が人間であることの重みに耐えかねて、人間であることを辞めようとしている、そんな気がしてなりません。
それはまるで、社会のあり方と私の自然なあり方の齟齬から生ずる葛藤に疲れた自我が、秩序(社会)や主体(人間)が生ずる前の、混沌の世界を志向しはじめているようです。