本田健の『ユダヤ人大富豪の教え』(2)

(1)のつづき

第二の秘訣、自分を知り、大好きなことをやる

社会の仕組みを知るだけでは本当の成功や幸せにはたどり着けません。
自分自身についてよく知り、自分を確立することによって、両輪が揃います。
自分が何者かも分からないまま、社会的に成功したとしても、けっして幸せになれません。

幸せでありかつ社会的にも成功したければ、「自分の大好きなことを仕事にする」必要があります。
「好き」は自分から生ずる内発的なモチベーションを生み、自己肯定感と、自己のアイデンティティーを確立します。
逆に周りの期待に応えることに終始して生きれば、仮に社会的には成功したとしても、自己は空っぽのままで空虚で、仮に何らかの変化により他者からの賞賛や圧力などの外発的なモチベーションが潰えた場合、自分の中からも活動力が消える不安定なものです。

しかし、ここで注意しなければならないことは、「好きなこと」と「得意なこと」を混同してしまうことです。
得意なことをすれば必然的に成果が上がり、達成感や高揚感が得られ、また他人に褒められたり尊敬されたりします。
これは人間に面目躍如たる充実感をあたえ、特別視されることで自尊心が満たされ、本人も自分はこれが「好き」だと思い込んでしまいます。

けれど、周囲に認められることの喜びや、課題達成・レベルアップ等の興奮をモチベーションとした場合、後に問題が起こってきます。
承認欲求は外的な条件に依存するため非常に不安定であり、課題というものはレベルが上がるにつれて指数関数的にその達成に必要な努力量が増大するため、徐々に達成の興奮というものが少なくなっていき、最終的には苦行のようになってきます。

社会的な成功者が急に鬱になったり自殺したりするのは、このあたりの問題もあります。
自分が欲するものではなく、他人が欲するものを集めることで承認や賞賛を得たとしても、自分自身はいっこうに満たされません。
むしろ自分自身が空っぽだからこそ、他者の承認を必要とするとも考えられます。

「自分が好きなもの」とは、もっと静かで落ち着いたものです。
周りの人間が評価するとかしないとかは関係なく、時間を忘れてしまうくらい、ただそれをすることが楽しいのです。
子どもは絵を描くことそのものが好きな子が多いのですが、それを嫌いにさせる簡単な方法があります。
それは、絵を描くことに対して褒美や賞賛を与えることです。
それにより内発的なモチベーションで絵を描いていた子どもは、ご褒美のオヤツや褒められるという外発的な動機のために絵を描くようになり、「好きなこと」を忘れ「得意なこと」のために生きることになります。
そして、褒美や賞賛を与えることをやめると、もう、絵は描かなくなります。(E.L.デシ『人を伸ばす力』の項を参照)

好きなことをやっていると力が湧いてきます。
好きなことをやっていると、同じ思いの人に巡り合っていきます。
その自然体であり自信をもった姿勢が、チャンスに開かれた態度となり、人生がどんどん展開していきます。
逆に嫌いなことをやっていると生きる力を失っていき、自分の可能性を広げてくれる同志との出会いの可能性はなくなっていきます。
人間的な魅力も薄れ、やりたいこととできることのギャップに苦しみ、自信とアイデンティティーを喪失していきます。
他者は敵であり、チャンスは自分を惑わすものとして、退けられます。

好きなことをやっていると必ず道は開けてきます。
それがお金になるにはある程度時間が必要でしょうが、好きなことをやっている分その時間を耐えられます。
「好き」と「お金」という二項を掛け合わせると、幸福度順に以下の四つの生き方の選択肢が生ずるわけです。
1、好きなことをやって、お金が多い(これは最高の人生)
2、好きなことをやって、お金が少ない(好きなことをやっているので、そこそこ幸せ)
3、嫌いなことをやって、お金が多い(お金はあるが嫌いなことをしているので、少し不幸)
4、嫌いなことをやって、お金が少ない(これは最低の人生)

これには程度の問題もあります。
ちょっと嫌いなことをやってお金が多いなら、2より3の方がいいと思う人も多いでしょう。
しかし、2の場合その後お金(収入)が増える可能性がありますが、3の嫌いなことが好きになる可能性はかなり薄いといえます。
私はどの生き方を選ぶべきかは、これらを鑑みて総合的に判断していく必要があります。

もちろん、100%好きなことばかりする人生などありえません。
好きなことをするためには、時には嫌なこともしなければなりません。
重要なことはその嫌なことを好きなことに関連付け、まるごとそれを愛せるかどうかです。
たとえば、好きな人の短所は、好きな人の長所に結び付けられるため、ネガティブなものとはなりません。
職場の同僚の不器用さに苛立っても、大好きな彼氏や彼女の不器用さ(短所)は純粋さ(長所)に結び付けられ、愛されます。
いま目の前にある仕事が、客観的には面倒であったり嫌なものであったとしても、それを好きの仕事のための過程であったり手段であったり、どんな形であれ関連付ければ、ポジティブにとらえることができます。
カーネギーであれ豊臣秀吉であれ、多くの成功者は、どんな職務でも目の前にある仕事に尽力し、それを好きにつなげながら、大成したわけです。
カーネギーが郵便配達や電信技士など自分のやることではないといって投げ出し、自分の「好き」につなげなければ、チャンスというものは一生やってこなかったでしょう。

「自分探しの旅」「好きなこと探しの旅」をずっと続けて、それだけで人生が終わってしまう人がよくいます。
それは、いわば100%短所のない異性を求め続け、一生恋人を作らない人に似ています。
彼らがしていることは、たんに目の前の状況からの逃避であって、それでは永遠に好きなことも好きな人も、現れることはありません。
完璧な仕事に出会えたら、完璧な異性に出会えたら、自分の中に愛が生まれると彼らは思っているわけですが、真実はその逆です。

自分の理想というものは、外にあるものではなく、内にあるものです。
自分と向き合い、その理想に向かうための能力を磨き、仕事や異性という外にある環境に自分を積極的に関係付け、「好きなもの」も「嫌いなもの」も共にし、それらを積み木として自分の理想を構築していこうという努力です。
その過程の中で「好き」が生まれるのであって、好きなものは天から落ちてくるマナの実の様に、偶然あらわれる運命の産物などではありません。

第三の秘訣、ものや人を見る目を養い、直観力を高める

潮の流れと風の流れを読み、巧く舵を取る船長のように、成功するために必要なものは流れを読む力、事物の奥深くに流れる本質的な流れを見極める力です。
社会やお金の流れがこれから先どこへ行くのかを予測し、その流れが悪ければ、事業や会社だけでなく国を脱出しても良い覚悟で、乗る潮を変え、沈没を防がなければなりません。
その舵取りを誤れば、どんな巨大な船でも沈むのです。
それらの流れを読むのには、特別高度な経済学的知識は必要なく、常識や感覚を頼りにして、細かい流れに目を奪われないように、大局を見ていくのです。
流れというものには周期的な波(ウェーブ)があり、会社なり自分なりが、いま上りにいるのか下りにいるのかを見極め、いま動くべきか静かに待つべきかを判断するのです。

人間の見極めも重要です。
可能な限りいろいろな人と付き合い、出会う人の本質を見極められるようにならなければ、後に痛い目に遭います。
些細な表情や態度や言動に表れる、徴を頼りにして、心理学者のように人間を読まねばなりません。
例えば、ビジネスパートナーが利害関係にある私に対してはニコニコしていても、ウエイターや掃除のおばさんや部下をぞんざいに扱っていれば、裏表のある人間であり、確実に信頼できる相手ではないことが分かります。
会社のような人間集団を、ひとつの人格体として分析するのもひとつの方法です(博打うちの様な会社で危険、見栄っ張りの会社で信用できない、など)。

あとは直観力を養うことです。
これに関しては具体的な語ることは難しいですが、成功する人ほど直観が研ぎ澄まされています。
人生やビジネスという実践で必要なのは、学校教育で受けた思考(というより既成概念)よりも、現実を生き抜く動物的な勘です。
それはただの気分のような曖昧なものではなく、ピンとくる確信です。
実践で訓練された勘というものは、むしろ具現化される前の思考の濃密な集積です。
推理小説の探偵が、まず勘で「何かおかしい」と気付き、後に時間をかけながら推理し、その勘を思考として形にしていくのに似ています。
実践のように瞬時の決断が生死を左右する世界において、この勘というメタレベルの思考は、非常に重要なものとなります。

(3)へつづく