本田健の『ユダヤ人大富豪の教え』(1)

「世の中には、どうして社会的、経済的に成功している人と、そうでない人が居るんだと思う?」
「成功する人間は、ものがその存在のありのままに見える。しかし、普通の人は違ったものを見る。 偏見や恐れ、ゆがんだ価値観、倫理観からものを見るので、何も見ていないのと同じだ。 物事の本質を見抜く目をもつこと、それこそが幸せに成功するための大切な要素なのだ」(本田健著『ユダヤ人大富豪の教え』より)

第一の秘訣、社会の成り立ちを知る

ふつう一般人は、お金持ちになるためには、一生懸命はたらくというイメージを持っています。
しかし現実は、年収500万円、5000万円、5億円の人がいた場合、一番一生懸命忙しく働いているのは、大抵500万円の人です。
年収5億円の人は自分のビジネスを持ち、5000万円の経営者を迎え入れ、5000万円の経営者は、500万円の労働者を雇います。

報酬額というのは、努力の量や労働の時間が決定するのではなく、「その人が提供したサービスの質と量」が決定するのです。
例えば、ある人気漫画家と飲食店員の年間労働の時間や労力が同じであったとしても、人気漫画家は数百・数千万の読者に対し、娯楽というサービスを提供するため、莫大な報酬が入ります(飲食店員であれば一人当たりせいぜい数十人のお客に提供するだけです)。

しかし、サービスが報酬に直結するとしても、サービスを提供する際はお金のことをいったん忘れなければなりません。
なぜなら、見返りばかりに目が行くと、本質であるサービスの質がおざなりにされ、結果、私の提供するものに魅力がなくなってしまうからです。
お金儲けのことばかり考えている人間より、その仕事自体に充実感を持っている人間の方が成功するのです。

世の中には経済的に二通りの人間しかいません。
「自由な人」と「不自由な人」です。

自由な人は経済的にも社会的にも精神的にも自立し、他人の援助も指図も受けません。
不自由人はそれらすべてにおいて他者に依存し、自分が何者であるかも、自分が何をしたいのかも、考えようともしません。
自分の人生の責任を他人に転嫁しているため、直面する問題に対し自分ではどうすることもできず、彼らから発せられるのは、不満、怒り、妬み、溜息、不安、焦燥、徒労などのネガティブなものばかりです。

もちろん、自由には責任が伴い、誰のせいにすることもできない厳しさがあります。
出る杭を打つ他者からの誤解や嫉妬や批判等、自立しているがゆえの代償というものもあります。
結局その人自身にとってどちらが魅力的な生き方として映るかです。
いくら貧しく、過酷な労働の中にあっても、自己決定を極端に恐れ、他人に隷属し、何も考えずにいられる状況を好む人もいます。
「日本人は何もしないためならどんなことでもする」と揶揄されるように、主体性というものが日本人において回避される傾向にあるのは周知の事実です。

資本主義とは言っても、それは経済的に自立した人達に当てはまるものであって、労働者自体は会社という組織の中で、共産主義に近いような給与体系の中にあります。
他人の三倍仕事をしたからといって報酬が三倍になるわけでもなく、10億の利益を生むプロジェクトを一人で成功させたとしても、その1%でもボーナスとして与えられることもありません。
どんぐりの背比べ程度の報酬が上乗せされ、それを喜ぶだけです。
お金持ちになりたいからといって、必死でスキルを磨き、組織の中で成果を上げても、その構図は基本的に変わりません。
それは会社に評価されるための努力であって、お金や成功を得るための努力ではありません。

では、一般社員の何倍もの質と量をこなす優秀な人は独立すれば、報酬も何倍にもなるかというと、そうでもありません。
彼はあくまで会社の信用やシステムの上で働いていただけであり、その支えがなくなれば、すべてそれを自分でこなさなければならなくなります。
製造だけで利益を上げていたと勘違いしていた彼は、営業、経理、開発、人事、総務等、の仕事まで一人でこなさなければならなくなり、むしろ会社にいた方が楽であったと気付きます。

自由人にとって重要なことは、ただやみくもに独立することではなく、自由であるために必要なもの、合理的なビジネスのシステムを作ることです。
それには会社に属していないことが絶対条件となります。
なぜなら、会社に属している限り、自由にビジネスのシステムを創造したり、変革したりすることは不可能だからです。

社長であれ、医者であれ、弁護士であれ、彼らはただ頭が良くて収入の多い不自由人でしかありません。
なぜなら彼らは自由であるためのビジネスのシステムを構築しておらず、他人が作ったシステムの上で働いているのであり、様々な制約に縛られそれに対処することに忙殺されているからです。
売れているミュージシャンは自由人と思われますが、ミュージシャンという仕事そのものは不自由人でしかありません。
ライブのチケット代や興行のメンバーとして報酬をもらうのであり、常に結果を出し続けなければならないプレッシャーと努力は労働者以上の苦労です。
重要なものは、レコードなどの「印税」という、自由であるためのシステムです。
売れたミュージシャンが自由人であるのは、働かずとも報酬が入ってくる「印税」というそのビジネスのシステムを利用するからなのです。

自由人と不自由人とでは根本的にルールが異なっており、まずはそれを知ることが成功のための第一歩となります。
雇われ社長として会社を経営するのは不自由人のルールであり、自分は仕組みだけ作って経営は優秀な者に任せて、自らは直接働かずに報酬をえるのが自由人のルールです。
働かずに報酬を得るというと、工場経営が主体であった古い時代のイメージで生きる人には不道徳なものと映るかもしれませんが、現代社会では先ほど述べたように報酬というものは経済的な価値に対して払われるものであり、それを生んだ労力だとか時間だとか人間的な尺度で計られるものではありません。
例えば、会社の仕組みだとかブランド(信用)だとか、そういう抽象的なものであっても、それが何らかの経済的価値を生む以上、報酬は生じます。

そんな風に不自由人は自分のルールのみを尊重し、他の可能性を学ぼうともせず、むしろ軽蔑すらします。
自由な金持ちに憧れながら、それを持てない不自由人は、彼らを不道徳と決め付けることによって、自分を正当化します。
不自由な人達に必要なことは、まず現実を直視し社会の成り立ちを把握し、真剣に自分の人生設計を練り直すことです。
その上で、やはり自分は不自由人でいた方が性にあって楽だというのなら、それはそれでいいのです。
自分を変革する面倒な作業や冒険のリスクより、日々の生活に追われる方が良いと判断したわけですから。
その人自身が変わろうとしなければ、何も変わりはしません。

(2)へつづく