ロバート・キヨサキの『金持ち父さん貧乏父さん』(2)

(1)のつづき

お金の流れを知る

もうひとつ重要な要素としてお金の流れ(キャッシュフロー)を把握することが挙げられます。
金持ち父さんは鳥瞰的な視点から、自分の貯水池に出入りする流れの全体を把握しながら、お金の使い方を決定していきます。
しかし、貧乏父さんはただ目の前にある常識と欲望に則って、何の考えもなしにお金を使っていきます。
それは昔話の教訓のように、バカな動物は手に入れたサツマイモをその場でぺろりと食べてしまい、賢明な動物はそれを植え育て何倍にもしてから食べるのです。
例えるなら、「昇進して給料が上がったからもっといい車に買い換えよう」ではなく、「昇進して給料が上がったから、それを投資にまわして利益が出たら、それで車を買い換えよう」です。

全体的なお金の流れを把握しながら、お金の使用において、常にそれが後に資産になるか負債になるかを考えながら決断していく必要があるのです。
モラリストのヒルティが「行為決定においてつねに、その行為が自分を善くするか悪くするかを考えて生きなさい」と云うように、「お金の使用においてつねに、その行為が自分を豊かにする(資産)か貧しくする(負債)かを考えて生きなさい」ということです。
自分の行為や買い物の価値を、反省的な視点から査定できない人は、ずっと貧しいままなのです。

職業とビジネスの違いを知る

貧乏父さんがお金に苦労しつづける直接の原因は、一生、他人のために働いているということです。
毎日一生懸命働いても、ほとんど労働者の手元に取り分は残らないというのが、資本主義の構造です。
それは誰かの元で働く「職業(プロフェッション)」であり、「ビジネス」ではありません。
銀行に勤務する行員は職業としての銀行であり、銀行を経営する者はビジネスとしての銀行です。

自分のビジネスを持たないかぎり、労働者の経済的苦悩から脱出することは出来ません。
プロフェッショナル(職業的)な人は、苦労して習得した能力を、他人のビジネスのために使い、自分のビジネスを忘れ自分を貧しくし、他人を豊かにすることに人生を費やすのです。
自分のビジネスを持ち、自分の資産を築きあげなければ、貧乏父さんの苦悩は永遠に続きます。
職業として働く傍らであっても、自分のビジネスを持ち、本当の資産を増やし、維持していく必要があるのです。

お金のために働く雇われの身であるかぎり、力と主導権は雇い主にあり、私は常につつきまわされる人生を送ります。
そこから抜け出すには、私が自分のビジネスを持ち、お金を私のために働かせる主導者とならねばなりません。
会社につつきまわされる人生が嫌なら、端的に会社を持つ側にまわれば良いだけなのです。

勿論、それにはリスクがともない、度胸が要ります。
才能もあり、頭も良いのに成功できない多くの人に足りないものは、思いや考えを行動にうつす勇気です。
答えは分かっているのに、手を挙げることのできない臆病な生徒は、一生現実の中で貧しい人間として生きていくことになります。

お金とは実体ではなく抽象である

貧乏父さんはお金(マネー)を実体として見、金持ち父さんはお金(マネー)を抽象として見ます。
元々お金(マネー)というものは、物々交換から生じたものです。
物々交換を合理的に進めるために生み出された一般等価物としての金(ゴールド)であり、その名残りから、どうしてもそれを物のように見てしまう偏見をぬぐえません。

しかし、資本主義社会において金とはたんなる同意や信用であって、それは完全に抽象的なものです。
それが理解できないと、お金持ちになるためには、一生懸命働いて労働力と金(ゴールド)を交換し、金(ゴールド)を積み上げることが、唯一の道になります。
お金を貯めるという言葉に、そもそも金塊を積み上げるような実体的なニュアンスがありますが、実際は抽象的な数字の増減です。

抽象だからこそ、資本家(投資家)はお金を無から生み出したり、指数関数的に増大させたりできるのです。
500万円貯めるために、日給一万円で500日働いて達成するのが、実体的に金を見る労働者の発想です。
しかし、投資家は時と場所によって事物の価値が違うことを知っており、天気図の気圧配置を読む気象予報士のように、世の中における価値の山と谷の配置を読んでいます。
仮に資金ゼロでも、彼らは一瞬にして500万円を生み出します。
著者の実例を簡単に挙げれば、破産処理にかかっている家を2万ドルで買い、頭金等は借金をし支払い、それを6万ドルで売る(この手続きにかかった実働は5時間)。

ファイナンシャル・インテリジェンス

これらの知性をファイナンシャル・インテリジェンスと名付け、それを構成する主要な四つの知識を挙げます。

1、前項で述べたお金に関する読解力(ファイナンシャル・リテラシー)。
2、お金がお金を作り出す科学を理解し、戦略を立てる投資力。
3、世の中の価値の気圧配置を読む、市場の理解力。
4、金や経営にまつわる法(ルール)を知り、合理的にゲームを進めるための法律力。
(スポーツでいくら強くても、ゲームのルールを知らなければ、失格は必至です)

世の中の価値の流れを見、他人には見えていない価値をそのリテラシーによって具体的に思考・計算可能なものにし、戦略を立て、合理・合法的に金を動かしていきます。

資本家(富裕層)も労働者も同じように、自分に役の立つ情報を欲するわけですが、決定的にこの学びの次元が異なっています。
労働者は自分の労働力を高く売るために自分の職能を上げてくれる情報を得よう(学ぼう)とするわけですが、資本家は上述のように自分の資産を増やしたり維持したりしてくれる情報にのみ目を配ります。

学ぶために労働する

だからといって金持ち父さんは職業を持たない(労働しない)というわけではありません。
しかし、その目的が違います。
貧乏父さんのようにお金のために労働者になるのではなく、金持ち父さんは自分のために勉強として労働者になるのです。
不動産会社に就職する人には、ただ、お金のために就職する人と、後に投資家になるためのノウハウやコネクションを手に入れるために働いている人がいます。
著者の場合は、会社経営のためのリーダーシップを学ぶために海兵隊に入ります。

一番駄目なのは、自立した経済活動を望みながら、嫌々他人のもとで労働者として働いている人です。
例えば、独立した作家を目指しながら、本業が金にならないため、他人の雇われとして働く人がよくいます。
彼らから出るのは、自分より実力のない人達が成功し、ベストセラー作家になっていくことに対しての愚痴ばかりです。
しかし、そもそも美しいものを目指したり真理を求める芸術家業と、お金を儲けることを目指すセールス業は、全く別の範疇にあります。
哲学者のアランは、そういう愚痴っぽい人達を、カテゴリーを混同する馬鹿だと戒めています。
マクドナルドより美味いハンバーガーを作れる料理人など無数にいます。
しかし、マクドナルドより売上げを上げる店舗を作ることは至難の業です。
芸術家を気取る愚痴っぽい作家は、この当たり前の事実に気付けないのです。
世の中には才能があるのに貧しい人々で溢れています。

ベストセラー作家になりたければ、売り方(セールス)を学ばなければならないのであり、愚痴をこぼしながら三文記事の雇われライター業を嫌々やるくらいなら、セールスの勉強ができる会社で働いた方が余程自分のためになるのです。
どこの会社の給与形態も、おおむね「経営者は従業員が辞めない程度に給料を与え、従業員は首にならない程度に一生懸命働く」世界です。
学ぶという問題意識もなく労働者であり続ければ、無際限の徒労の中で人は疲弊し、いずれ伸びきったバネのように、人生に対しての諦めとある種の悲哀をともなった悟りの境地を得ることになるでしょう。

若い人は将来を見据え、自分にはどんな技術と知識が必要であるかを考え、「いくら稼げるか」ではなく「何を学べるか」によって職業を選択していく必要があります。
そうでなければ、ただ「給料を貰って支払いをする」という、行動心理学実験の回転カゴのネズミのようなサイクルにはまり込み、一生そこから抜け出せなくなります。

「それを買うお金はない」という言葉には人を悲しい気持ちにさせるという悪影響がある。自分の無力を感じ、その気持ちが失望へと成長したり、落ち込みの原因になることもよくある。また無感情状態におちいるという場合もある。つまり、「どうやったらそれを買えるようになるか?」と考えることは 可能性を開き、わくわくした気持ちや夢を持つことにつながるのに対し、「それを買うお金はない」と決めつけてしまうことは、そういった感情を殺してしまうことになる。金持ち父さんは私たちが「買いたい」と 思ったその対象が何かはあまり気にしなかった。金持ち父さんにとっては「どうやったらそれを買えるようになるか?」いう言葉によって精神を鍛え、魂を活性化させることの方が大切だったからだ。(白根美穂子 訳)