ロバート・キヨサキの『金持ち父さん貧乏父さん』(1)

資本家と労働者

金持ち父さん貧乏父さんとは、旧来の言葉で云ういわゆる資本家と労働者のことです。
資本家とはお金を回転させることによってお金を増殖させる人で、労働者とは自分の労働力(労働力商品)を売ってお金と交換する人です。
本書の目的は、そんな労働者に資本家という可能性を拓き、啓蒙することです。

一部の人にはびっくりするくらい当たり前すぎる内容の本ですが、多くの人にはびっくりするくらい特別な内容の本です。
なぜなら、基本的に多くの人(労働者)は永遠に労働者であり続けるよう、社会にしつけられているからです。

労働者という呪縛

私は生まれた時から、毎日会社に通う父の背中を見て育ちます。
両親の教育も学校の教育も言う事は同じで、沢山勉強して、いい学校に行って、いい会社に就職して、出世することが一番の幸せだと。
これを一言で言ってしまうと、人生の目的とは、優秀な労働力商品になって、それを資本家に高い賃金で交換してもらうことです。
大学卒業までの勉強は、すべてこのための勉強であって、私にとってお金を稼ぐ方法はこれしか想像できないわけです。

教育だけでなく、私たちを取り巻くメディアにしても、同じことです。
例えば、人気の小説やアニメでも、みな口を揃えて「働き者の手は美しい」などと言います。
労働者は美しく描かれ、不労所得をむさぼる資本家は醜いヒキガエルのように描かれるのは、もうお約束です。
労働に疲れたサラリーマンが、自己を美化してくれるそんなメディアに癒されるのは当然のことです。

しかし、ここで注意しなければならないことは、心理学者のE・フロムの言うように、褒め言葉とは同時に強要でもあるということです。
男性が女性に「綺麗だね」と褒める時、それは同時に「お前は綺麗であり続けろ」という命令でもあるのです。
私が女性に「頼りになるね」と褒められ喜ぶ時、私はもっとたくましくならねばならないという呪縛に囚われ、そこから逃れることは困難です。
虫愛する可憐な姫様(有名なアニメのキャラ)に「働き者の手が好き」などと言われて、それを真に受け感動すれば、私は永遠に働き者(労働者)であることを決定付けられてしまいます。

社会はそうやってあの手この手で労働者を労働者として押しとどめ、資本家への可能性を労働者に見せないよう制限をかけます。
本書の内容は、そのリミッターを解除することに大半のエネルギーを注いでいます。
流行の言葉でいえば、労働者のお金に対する根底的なものの見方・考え方「パラダイム」を変革することを目的としています。

主体性を取り返す

「中流以下の人間はお金のために働く。金持ちは自分のためにお金を働かせる。(引用)」という言葉が本書において黄金律のように挙げられています。
これを意訳すれば「労働者はお金のために自分を手段として金を稼ぐ。資本家は自分のためにお金を手段として金を稼ぐ」となります。
学校とはお金のために働く方法を学ぶ場所であるため、自分のためにお金を稼ぐ方法は自分で探し学ぶしかないのです。
仮に私が優秀であり、出世コースに乗って水準以上の金を持っても、あくまで私は金のために働く労働者であり、平であろうが役職を持とうが、会社の歯車になるために身を削るのは同じことです。
金を持った分だけ必要とされる金も増え、出世して生活の質は向上したとしても、心はつねに何かに追われ幸せにはなれません。

なぜかというと、あくまで労働者は資本家の作ったゲームの中でしか生きることができないからです。
いくらそのゲーム内で優秀になったとしても、あくまでゲームのルールの奴隷であることには変わりありません。
そこから自由になるためには、そのゲームを超越したメタレベルの経済活動に参入する必要があるのです。
それは会社のために稼ぐという疎外状況(マルクスの項参照)を克服し、自分のために稼ぐという、主体性の取り返しです。

感情ではなく理性に従う

しかし、労働者を労働者として押し留めるものは環境からの拘束だけでなく、労働者が感情に流されやすく、理性に従わないために起こる自分自身の問題でもあります。
お金を持たずにいることへの恐怖が、自分の本当の気持ちを曇らし、理性による決断の行為ではなく感情的な反射のみによって自己の人生を決定していきます。
恐怖や不安をやわらげてくれるものはお金であり、さらにお金を獲得するために一生懸命働くわけですが、それはもがけばもがくほど深く喰いこむ罠のように、労働者を金への欲望と恐怖の虜にします。
金持ち父さんと貧乏父さんを分けるものは金の量ではなく、金への考え方と稼ぎ方(プロセス)なのです。

金持ち父さんはネガティブな感情に支配されず、理性に従い、自分の感情に素直になり、本当に自分のためになるような行為を選択します。
例えば、貧乏父さんが急に失業した時、金のないことへの恐怖や社会からつまはじきにされたことへの不安から、反射的に職探しへ出かけるわけですが、金持ち父さんなら「この恐怖をなくすための最善の方法は何なのだろうか」という問題意識をもち、長期的な視野から人生設計を立て行動するわけです。
感情(恐怖や欲望など)をコントロールする方法を学ばなければ、いくら金を持ってもそれはたんなる「必死な奴隷」でしかないのです。
飼い主によって目の前にぶら下げられたニンジンを必死に追いかけ続ける馬は、それを追うことが本当に自分のためになるのか、もっと他にニンジンを手に入れる方法はないか、冷静に考える必要があるのです。

職場内で発せられる多くの愚痴、「給料が安い」「休みが取れない」「正しく評価してもらえない」「生活があって辞められない」「上だけ楽している」「やりがいがない」等々、これらは感情から発せられる受動的(隷属的)な言葉であり、主体性が無く、環境の奴隷であることを証示しています。
受動感情から反射的に生ずる思考ではなく、もっと別の可能性を、自分の頭で考え、主体的に決断し、自分自身で人生の道を切り開いていくことが、金持ち父さんに成ることの条件です。

資産と負債の違いを知る

次いで「金持ちになりたければ、お金について勉強しなければならない(引用)」という言葉が挙げられます。
本当の意味で「ものを持っている」ということは、そのものの使い方を知っているということです。
八百屋さんに使い方も分からない巨大な紫外線顕微鏡があったところで、せいぜい漬物石として使用されるだけで、「顕微鏡」を所有していることにはなりません。
本当のお金持ちとは、お金の使い方を知っている人であり、お金の量ではありません。
数十億円もお金を稼いだプロスポーツ選手が、現役引退後数年でホームレスのような生活者になることがよくありますが、彼らは本質的にお金持ちなどではないのです。
貧乏父さんは「お金が欲しい」と言って、お金が降ってくることをのぞむわけですが、先ず必要なのはお金そのものではなく、お金の使い方を学ぶことです。

このお金の使い方において最も重要なのが、資産と負債の違いを見極めることです。
「金持ちは資産を手に入れる。中流以下の人達は負債を手に入れ、資産だと思い込む(引用)」
その定義は、資産は私のポケットにお金を入れてくれ、負債は私のポケットからお金をとっていく、というものです。
「金持ちになりたければ、ただ資産を買うことに生涯をささげればいい(引用)」だけのはなしなのです。

それには、金銭・財務関係の数字と文字を読解する力「ファイナンシャル・リテラシー」が必要だと言うわけですが、それは子どもがリテラシー(読み書きの能力)を学ぶように、貧乏父さんはいちからそれを学ばなければならないわけです。
パソコン初心者が説明書を読むと、その記号や数字が何を意味しているかチンプンカンプンで放り投げるわけですが、それを読む努力から逃げているかぎり、使いこなせないのです。

(2)へつづく