メルロ=ポンティの『幼児の対人関係』(0)序論

序論~主題の把握

知性的な認識の機能(知能、知覚、想像、言語など)というものは、実は認識以前の活動によってすでにその枠組みを与えられ、経験として組織化されています。
まず、それを説明するために、二つの具体例を挙げます。

例1
単純な外的知覚、いわゆる五感や空間の知覚などの客観的に思える知覚でさえ、幼児がすでにその中で生きている人間関係によって大きく変容されます。

例えば、権威主義的な家庭、あれかこれかの規律(二分法)の中で生きる幼児は、心理的に硬くなり、いわゆるニュアンス(中間・両義性)というものの認識が難しくなります。
現実というものは、白から黒まで無限のグラデーションがあるように、つねに両義的なものです。
人は誰かを愛しながら同時に憎み、正義というものは少なからず悪を含んでいます。
しかし、心理的に硬い人は、白か黒かの両極性(アンビバレンツ)の認識しかできず、主題的に認識されないもう片方の要素は抑圧され、敵対的に外部に投影されます。
白であるゲルマン人のネガティブな性質は、黒であるユダヤ人に投影され、男性の認識してはいけない弱さの要素は、すべて女性に投影されます。

単純な知覚においてもそれが顕著で、例えば犬の画像が徐々に猫の画像に変わっていくCG動画を見させても、その変化に気付くまでの時間が平均的な数字より大幅に遅れることになります。
最初の犬の画像に固執し、もうほとんど猫であるのにそれを認めようとしないのです。
いわゆる偏見の図式であり、心理的硬さは知覚的硬さとしてあらわれるのです。
彼らは自然な現実の認識を極めて抑圧的に捻じ曲げているため、感情的にも不安定な人格を持つことになります。
逆に知覚的な両義性を認められる人は、感情的に安定した心理的土台を持ちます。

勿論これは知覚というものが環境因によって決定されているということではなく、これら二つのものは人間の活動において全体として関連付けあっているということです。

例2
言語の発達というものは、その幼児を取り巻く人間関係の感情的な布置に強い影響を受けています。

例えば、生まれた時からずっと末っ子であり、安定した人間関係の布置にある男児に弟が出来た場合、その男児の環境は激変します。
男児がそれまで安定的に与えられてきた家族関係内の位置(役割、アイデンティティー)を弟に奪われ、男児はその新たな侵入者に対し嫉妬します。
しかし、この嫉妬は、本質的には状況が変わることへの恐れと不安からくる拒否反応です。

そこでこの嫉妬を克服し、不安定の自己の状況に安定的な役割を与えるためには、自己を相対化する必要があります。
それは絶対的に末っ子(弟)であった自分を相対化し、今まで兄であった人達の位置に自己の役割をスライドすることです。
この超克において連動的に男児の言語の構造に変化が起こり、突如、未来、過去、現在などの時間的構造、いわゆる時制が使用されはじめることになります。
「僕は弟だったけど(過去)、いずれは一番上のお兄ちゃんになるであろう(未来)、中間のお兄ちゃんである(現在)」と。

一般的には、言語の発達は安定的な連続ではなく、あたらしい語法が習得される際、何らかの人間的環境の危機状態が起こり、突如、ある表現法全体が一挙にできあがります。
人間が経験を知的な形で統合し世界を把握する作業は、対人関係という感情的作業に支えられています。
幼児が自己の家族関係を形作る時、それに関連付けあいながら、思考や認識の枠組みを学ぶのです。