スピノザ『エチカ』の定理まとめ

※本項は『スピノザ』チャールズ・ジャレット 石垣憲一訳 講談社 において、ジャレットがエチカの定理一覧から主要なものを選択したものです。
(本書66.112.113.160.161.196.197.247ページ )

 

第一部 神について

定理4 実在的に存在するものはすべて実体か様態である。
定理11 神、あるいは無限の属性を持つ実体は必然的に存在する。
定理14 神は、存在する(あるいは把握されうる)唯一の実体である。
定理15 すべてのものは神の中にあり、神を通じて把握される。
定理16 神の本性の必然性から、無限の事物が無限の方法で一つまり、無限の知性によって把握されうるすべてのものが一生じる。
定理17 神のみが自由原因である。
定理21、22、23、28 神は直接的に無限の様態を生み、その無限の様態がその他の様態を生む。有限の様態はそれぞれ別の有限の様態から生まれる。
定理29 偶然なものはない。
定理32 自由意志はない。
定理33 神から生まれたものは、異なる方法で生まれたはずがない。
付録 自然物はすべて合目的的に行動しているのではない。

第二部 精神と認識について

第1段 人間の精神について
定理1、2「思性」と「延長」は神の属性である。
定理3、4 神は、自身に関する、また神から生じるすべてのものに関する、単一の観念を持つ(この観念は、神の知性ないし精神である)。
定理5、6 神はある観念の原因となるが、これは神が思惟する事物である場合のみに限る。より一般的には、神はあらゆる属性の様態の原因となるが、これは神がその属性を持つ場合のみに限る。
定理7の備考 観念の秩序や関係性は事物の秩序や関係性と同じである。
定理8の備考 存在しない様態の観念は、形相的な本質が神の属性に含まれるのと同様に、神の知性に含まれる。
定理10 人間は、本質的には様態であり、実体ではない。
定理11 人間の精神は現実に存在する事物に関する神の観念である。
定理12 人間の精神を構成する観念の対象の中で起こることはすべて、その精神によって知覚される。
定理13 人間の精神の対象は人間の身体である。
定理13の備考 汎心論。身体はそれぞれ魂ないし精神を持つ。

第2段 認識について
定理40の備考 人間の認識の種類に関するスピノザの分類の概要。第一種の認識-意見(想像知)、第二種の認識-理性知。第三種の認識-直観知。

意見(想像知)について
定理16 外部の物体が原因となっている物体の変化ないし変状の観念は、我々の身体の本性と外部の物体の本性を伴う。
定理17 外部の物体が原因となっている物体の変状の観念は、我々にその外部の物体を現実に存在するものとして示す。
定理18とその備考 精神は、一度二つの物体から同時に変状されたら、片方を思い出せばもう一方も思い出すようになる。
定理25 外部の物体に関する我々の表象的な観念は不適切である。

理性知について
定理38 我々はすべてのものに共通する事物に関する適切な観念を持つ。
定理40 適切な観念から生じる観念は何であれ適切なものである。
定理41 意見は虚偽の原因である。理性知と直観知は必然的に真である。
定理43 何かを真であると認識するなら、自分がそのことを認識していることを認識するし、それを疑うことはできない。
定理44 理性は事物を偶然的なものではなく必然的なものとして把握する。

直観知について
定理47 人間の精神は神の本質の適切な認識を持つ。

意志について
定理48 我々が肯定ないし否定するときの根拠となるような自由意志はない。

第三部 感情について

第1段 前説

序 言 感情は自然現象である。本性の欠陥ではないし、「人類の過失や愚行」で もない。
定理1 精神は能動的な場合もあれば、受動的な場合もある。我々は適切な観念を持つ限り行動し、不適切な観念を持つ限り受動(情念)的になる。
定理2 身体は精神が思惟する原因にはなりえない。また、精神は身体が運動ないし静止する理由にはなりえない。

第2段 コナトゥス論と三つの主要な感情について

定理4 外部の原因によらずに消滅するものはありえない。
定理6 それぞれの事物は、可能な限り、その有を堅持しようと努める。
定理7 事物の現実的な本質は、生存しようとする努力である。
定理11 ある事物が身体の行動力を増大させるなら、その事物の観念は精神の行動力を増大させる。

第3段 受動的な感情について

愛と憎しみについて
定理12 精神は身体の行動力を増大させるもののことを思惟しようと努める。
定理13の系 精神は身体の能力を減少させるもののことを思惟するのを嫌悪する。

感情とその原因の関連付けについて
定理14 我々は同時に経験した感情を関連付ける。
定理15とその備考 いかなるものでも喜びや欲望、悲しみの偶発的な原因になりうる。
定理16 我々は時に似たようなものを対象とする感情を関連付けることがある。
定理17 我々は時に単一の対象を愛し、憎むことがある。

思惟、愛、憎しみ、喜び、悲しみについて
定理19 愛するものが消滅することを思惟すれば悲しみを感じる。愛するものが保存されることを思惟すれば喜びを感じる。
定理20 憎むものが消滅することを思惟すれば喜びを感じる。
定理21 愛するものが喜びを感じている、あるいは悲しみを感じていると思惟すれば、あなたも喜び、あるいは悲しみを感じる。
定理22 愛するものを誰かが喜ばせることを思惟すると、その喜ばせた人を愛するようになる。愛するものを誰かが悲しませることを思惟すると、その悲しま せた人を憎むようになる。

欲望、愛、憎しみについて
定理37 喜びや悲しみから生じる欲望の強さは、その喜びや悲しみの強さによって変わる。
定理39 我々は憎んでいるものを害したいと欲するし、愛しているものを利したいと欲する。
定理40 憎しみは、何の原因も与えられていなければ、憎しみで返される。
定理41 愛は、何の原因も与えられていなければ、愛で返される。
定理43 憎しみは憎しみによって増大する。また、愛によって消滅する。
定理46 別の階級ないし国家に属する誰かが快感ないし苦痛の原因となり、しかもその誰かが、その集団の一員として、その快感ないし苦痛の原因となってい ると我々がみなす場合、我々はその階級ないし国家に属するすべての人を愛す る、あるいは憎む。
定理53 喜びは我々自身の能力に関する思惟から生じる。
定理55 悲しみは我々自身の無力に関する思惟から生じる。
定理57とその備考 一個人の感情と別の個人の感情がどの程度異なるかは、一個 人の本質と別の個人の本質がどの程度異なるかと同じである。動物は感情を持 つ。

第4段 能動的な感情について

定理58 我々は喜びと欲望という能動的な感情を持つ。
定理59 とその備考 我々の能動的な感情は喜びと欲望のみである。

第四部 倫理について

第1段 なぜ我々はより善いものを目にしながらより悪いものに従うのか

定理7 感情を消滅させられるのは、より強い、反対の感情のみである。
定理8 善悪の認識は感情である。
定理14 感情は善悪の真の認識によって抑制できるが、これはその認識が感情である場合のみに限る。その認識が真である限りではない。
定理15 善悪の真の認識から生じる欲望は、他の多くの欲望によって消滅ないし抑制できる。

第2段 正しい生き方について

第1節 徳と最高の善について
定理19 各人は、自分自身の本性の法から必然的に自身が善ないし悪と判断するものを欲望ないし嫌悪する。
定理20 とその備考 ある人間の、存在を堅持するコナトゥスないし能力は、その人間の徳に比例する。
定理23 人間は、適切な観念を理解する(あるいは適切な観念を持つ)限り、徳に基づいて行動する。
定理26 我々が理性的である(あるいは理性の適切な観念を持つ)限り、我々が努めるのは理解しようとすることのみであり、理解を進めるもののみを善とみなす。
定理27 我々が善ないし悪と確実に認識できるのは、理解を進める、あるいは理解を妨げるもののみである。
定理28 我々の最高の善は神の認識である。また、我々の最高 の徳は神を認識することである。

第2節 社会との調和。他人との関係について
定理31 我々の本性にそぐうものは何であれ必然的に善である。
定理34とその系 我々は受動的な感情を持つ限り、相反することがありうる。
定理35 人間は、理性の導きに従って生きる限り、本性では一致するものである。
定理36 最高の善はすべてに共通する。
定理37 我々は、徳を追求する、あるいは理性の導きに従って生きる限り、我々自身のために欲する善を、他のすべての人間のためにも欲する。

第3節 行動や感情に関する善悪の評価について
定理38 外部の物体を変状する、また外部の物体によって変状する身体の能力を増大させるものは何であれ善である。これを減少させるものは悪である。
定理39 身体の各部分の運動と静止の比率をお互いに保存するものは何であれ善である。また、これを変化させるものは何であれ悪である。
定理40 人々の間の社会組織や調和を促進するものは何であれ善である。国家に 不和を生むものは何であれ悪である。

喜びと悲しみの評価について
定理41 喜びはそれ自体善であり、悲しみはそれ自体悪である。
定理42 快活は常に善であり、憂鬱は常に悪である。
定理43 快感は過度になりうるし、悪にもなりうる。苦痛は、快感が悪になりうる範囲で、善になりうる。

愛、欲望、憎しみの評価について
定理44 愛と欲望は過度になりうる。
定理44の備考 ある種の感情は、過度になった場合は、病気となる。
定理45 人間に対する憎しみは決して善にはなりえない。
定理46 我々は理性の導きに従って生きる限り、憎しみや怒りなどを愛で報いる ように努める。

希望、恐怖、憐憫などの評価について
定理47 希望と恐怖はそれ自体善ではない。
定理50 憐憫は、合理的な人においては悪である。
定理53 謙遜は徳ではない。
定理54 悔俊は徳ではない。また、悔俊する人は二重にみじめである。

第4節 悪の認識。自由人について
定理64 悪の認識は不適切なものである。
定理68 我々がもし自由人として生まれ、自由人のままでいたのであれば、善悪 の概念を持たなかったであろうに。
定理72 自由人は決して欺くような行動をしない。
定理73 我々は理性の導きに従って生きる限り、孤独に生きるよりも国家の中で生きる方がより自由である。

第五部 精神の力と至福について

第1段 療法について
定理2 愛や憎しみ、また愛や憎しみから生じる感情は、外部の原因の観念から切 り離したら消滅する。
定理4とその備考 我々はいかなる感情についても明晰かつ判明な観念を形成できる。
定理6 我々がそれぞれの事物を必然的とみなすなら、我々が感情に対して持つ能力は増す。
定理7 理性から生じる感情は、我々が不在とみなす事物に向けられる感情よりも強力である。
定理9 我々がいくつかの原因を持つとみなす感情は、我々がひとつしか原因を持 たないとみなす感情よりも害が少ない。 定理10 我々は知性の秩序に則して感情を整理して関連付けることができる。
定理11 感情は、より多くの事物に関係し、したがってより多くの事物が原因となるときの方が、より頻繁に生じる。
定理16、18、20 神の愛は最も強い感情である。憎しみに変わることはありえないし、嫉妬や羨望を生むこともありえない。

第2段 知性、直観知、至福の永遠性について
定理23 人間の精神ないし「精神の何か」は永遠である。
定理31とその備考 精神は、永遠である限り、第三種の認識を持つ。
定理32とその系 神の知的な愛は第三種の認識から生じる。
定理33 知的な愛は永遠である。
定理38とその備考 精神が第二種の認識と第三種の認識によって理解することが増えれば増えるほど、受動的な感情に害されることが少なくなり、死を恐怖することも少なくなる。
定理40の系 知性は想像知よりも完全なものである。
定理41 知性の永遠性は、道徳の動機にはならない。
定理42 至福は徳である(徳の報酬ではない)。