「科学的に労働する」(2)日常生活

(1)のつづき

日常作業の科学(合理)化

当然ながら、これは日常生活全般のすべての作業についても当てはまります。
私たちの普段の生活作業というものは、基本的に生まれ育った環境のものを、反省なく反復しているだけです。
しかし、例えば私が子どもの頃親に学んだ歯磨きの習慣は、あくまでも親の都合によるものであって、私のものではありません。
無限にあるハミガキの方法の中のたった一つの方法を、何も考えずに受け継ぎ、今にいたります。
しかし、ここでも科学的な反省と修正のプロセスによって、自分にとって最も合理的なハミガキの方法を探すことができます。
手で磨くか機械で磨くか、機械なら往復式か回転式か、使う歯磨き粉の種類は、時間は、回数は、順番は、等々。
色々試行錯誤しながらハミガキという作業の効率化を図ることによって、より生活が合理的になり、余裕が出てきます。
私個人でいえば、親に学んだ習慣としてのハミガキの方法から、科学的なプロセスを通した進歩によって、より美しく磨けるようになり、かつ時間は半減しました。
特に日常生活の反復は一生続くので、一日3分の差でも、相当なものです。

最近も同じような事例が通勤においてありました。
私の職場まで、角を一本曲がるだけの直線だったため、何の考えもなく真直ぐ行って曲がるという直角の行程で通勤していました。
しかし3年後にグーグルマップで周辺の地図を見たとき、それが直角ではなく鋭角であったことに気付きました。
次の日、逆の方向から直角に行ってみると、そこはいつもより安全で快適な道で、いつもより5分(往復で10分)も時間が短縮しました。
ただ事前に与えられた既成の概念に無批判に従ったため、私は3年間も朝の貴重な5分を無駄にし続けていたわけです。
出勤初日に事前に地図を見て、ルートの確認をしておけばよかっただけの話なのに。
こういう事例は日常生活のなかに無数にあり、私たちは反省の視点を持たないがために、人生を相当無駄にしています。

無駄という豊かさを享受するための科学(合理)化

勿論、日常生活すべての作業に反省だの科学だなどといっていれば、窮屈で朝から晩まで休む間もありません。
しかし、これは先にも述べたように、上達の曲線は指数関数的な急な曲線を描くので、最初はちょっとの努力で大きな収穫が得られます。
なのである程度その作業が上達して安定状態に入れば、ハミガキのプロでもない私たちは、もう試行錯誤する必要はなく、それを習慣化してよいわけです。
ハミガキの試行錯誤など、1、2ヶ月で終わりますので、その後数年はそのままそれを習慣化すればいいのです。
そして自分の環境や身体の状態の変化や、社会のテクノロジーの革新や新たな情報が付加された頃合に、またその方法を見直せばよいのです。

人生は無駄や偶然があるからこそ、豊かであるともいえるわけで、日常生活まで合理合理でかためれば、むしろ精神的に貧しくなるのではないかとも思えます。
しかし、ハミガキや通勤などは「作業」であって、それはあくまでも合理を求めるべきものです。
作業を合理化することによって、私たちは無駄や偶然を楽しむための余裕が生ずるのです。
作業である歩行「通勤」を合理化することによって得た一日10分の余裕によって、無駄や偶然(=遊戯の本質)である歩行「お散歩」を楽しむための時間が確保できるのです。

とにかく科学的にやってみる

世の中には色々なタイプの人がいます。
既成概念を盲従せず、主体的に自分の行為と理念を決定していくという方法を、好まない人もいます。
主体性にストレスを感じ、ただ与えられた価値観に沿って反復的に作業をこなすことに安心を覚える人も、日本人には多いでしょう。
しかし、そこでも結局、まずは試行錯誤が必要なのです。
本当に自分は受動的な生き方が好きなのかどうかを試すことです。
いったん主体的に反省し修正し行為していくというプロセスをとにかくやってみて、それでもやっぱり自分は既成の反復の方がいいというのなら、それでよいのです。

とにかく一度、この科学的なプロセスで作業というものを進めてみてください。