ドラッカーの『イノベーションと起業家精神』(4)

(3)のつづき

三、ニッチの占拠

上述の戦略がトップの地位を目指すのに対し、ニッチ戦略は限定した領域(隙間)や目標のなかで、実質的な独占を目指します。
ここでいう「ニッチ」は、いわゆるすきま産業の「隙間(niche)」という語意と、生物学の語彙である「生態的地位(niche)」の棲み分け理論を合わせたような意味で使われています。
競争の中で地位を獲得する戦略ではなく、挑戦を受けないような棲み分け可能な地位を探し、そこを独占的に占拠します。
大企業や大戦略の成功者と違い、無名で目立たないがゆえに誰の挑戦も受けずに優雅に暮らします。

ドラッカーはニッチ戦術として、三つの戦略を挙げます。

『関所(tool-gate)戦略』

これは全体のプロセスの中で必要不可欠な一部を占拠することによって、安定的に利益を得る方法です。
ある道程において必ず通らねばならない小さな場所を占拠し、関所のように通行料を取るようなものです。
いわば、目立たないけれどないと困る存在になることを目指します。
その市場の規模は最初に入った者(一社)だけが占拠できるだけの小さなサイズでなければならず、かつ競争相手が現れようのない生態学的な隙間でなければなりません。
それは静的な空間であり需要は限定されており、一度その場所を占拠してしまえば、それ以上の大きな成長はありません。
最初の目標を達成すればすでに成熟期であり、その後はその限定された範囲(ニッチ)内での最終的な需要と同じ速度で成長し、衰退します。
すでに成熟しているため、外部で需要を満たす何らかの方法(別のルート)が発見されても為す術がなく、ただ需要者の減少と同時に自らの地位も減退してゆきます。

『専門技術戦略』

ある全体の中の専門的な部分として技術的に秀でることで、市場の中における生態的地位を確保する戦術です。
専門技術によって先行し、その技術基準をスタンダードにすることによって、他を入れる余地をなくすことです。
あくまで小さなニッチ市場であるため、他の企業にとってはその技術を追い抜く労力に見合うだけのリターンが得られず、挑戦する価値がそもそもないのです。
専門技術によるニッチ市場の確立は、新しい産業や市場、動向が生ずるイノベーションの揺籃期にその機会を体系的に探し、その地位を確保せねばなりません。
確保した後も絶えず技術の向上に努め、自分が自分を一歩ずつ追い越すことによって、その地位を維持します。
しかし、そもそも隙間(ニッチ)というものの定義が、大きなものの間の空間を指すため、その存在は大きなものに依存し、大きなものの変化によって容易にその存在を消されるリスクが常にあります。
関所戦略同様、外部環境の変化にうまく適応できないのは、専門技術の宿命です。

『専門市場戦略』

方法論的には専門技術戦略と変わりません。
専門技術戦略が製品やサービスの専門知識によって他から秀でるのに対して、市場についての専門知識によって他を寄せつけない戦略です。

西側世界における~業務用オーブンの過半は、~二つの中堅メーカーが供給している。これら二社のメーカーと同じオーブンを作れるメーカーは無数にある。しかし、この二社は市場を知っている。二社だけが世界中の主なベーカリーを知っており、ベーカリーの方もこの二社を知っている。そして、この二社が市場を満足させているかぎり、彼らと競争したいと思わせるほど市場は大きくなく、魅力的でもない。(上田惇生訳)

四、価値の創造

これはまさにイノベーションそのものをひき起こす戦略です。
既存の素材を資源や製品に変え、既存の製品やサービスを新しい何かに変え、経済的な特性を変化させ、それらに価値を与えます。
それと同時に価値の創造とはいわば顧客の創造でもあり、それは経済活動の究極的な目的でもあります。
イノベーションは社会と市場を大きく変え、顧客の利益と社会の富を増大し、より大きな価値と満足をもたらします。

その方法としてドラッカーは四つの戦略を挙げます。

『効用戦略』

顧客にとっての効用とは何かを徹底的に探究し、顧客が目的(欲求・ニーズの満足)を達成する上で必要なサービスを提供します。
彼は、古代ローマに遡る郵便制度にイノベーションをもたらし爆発的に普及させた19世紀イギリスのローランド・ヒルを例としてあげます。

当時、郵便の料金は、受け取り人払いであって、距離と重さによって計算していた。料金が高く時間もかかった。いちいち重さを量らなければならなかった。ヒルはこの料金を距離にかかわりなく一律にした。前払いとし、印紙を貼らせた。一夜にして、郵便は便利で簡単になった。投函さえすればよくなった。値段も安くなった。~こうして郵便制度が生まれた。ヒルは、サービスとしての郵便を変え、新しい効用を創造した。これこそ重要なことである。

『価格戦略』

これは戦略として価格設定を利用します。
価格や支払いの方法を消費者のニーズと状況に合わせることであり、供給者のコストではなく消費者の価値に則ってそれらを設定することです。

例えば、ヒゲの手入れという習慣が一般にも広がった時代、毎日床屋で剃ることや当時高価であった安全カミソリを個人で買うことはかなりの負担でした。
そこでキングジレットは、安全カミソリを生産コストのわずか五分の一の価格で売り出しました。
しかし、それは自社の替刃しか使えないよう設計され、替刃は生産コストの五倍で販売されました。
それは床屋の十分の一のコストでヒゲが剃れます。
当時4000ドルのコピー機本体ではなく、コピー1枚5セントで売ったゼロックスも同様、これらの価格設定によって総額として支払われる額は変わりありません。

消費者は安全カミソリやコピー機というモノを買うのではなく、髭剃りそのもの、コピーそのものに対して対価を支払うのです。
4000ドルのコピー機では得られなかった潜在的な顧客が、戦略としての価格設定によって顕在化し、顧客が創造されます。
消費者にとって本質的に必要なものは、髭剃りそのもの、コピーそのものだという認識は、供給者視点からは決して得られないものです。

『顧客戦略』

先の事例に共通することですが、端的にこれは顧客の視点に立って戦略を練ることです。
当時、収穫機に対する需要はあっても高価で買えない農民に対して分割払いというシステムを導入したサイラス・マコーミック(草刈機の発明、分割払いの発案者)のように。

メーカーは、合理的に行動しない顧客についてこぼす。しかし、合理的に行動しない顧客など存在しない。昔からいわれるように、存在するのは無精なメーカーだけである。顧客は合理的に行動する。単に顧客の事情がメーカーの事情と異なるだけである。~イノベーションのための戦略は、それらの事実が、顧客にかかわりを持つかぎり、不可避の事実として認めるところから始まる。顧客が買うものは、それが何であれ、彼らの事情に合ったものである。

『価値戦略』

ここにおいて必要なのは、メーカーにとっての製品ではなく、顧客にとっての価値を提供するという姿勢です。
消費者の事情を顧慮したものが製品として形になり、顧客はそれを買っているのだということの認知です。

例えば、土木業者が機械の潤滑油をメーカーから買う時、彼らが真に欲しているは「潤滑油」ではなく、「機械の総稼働時間(生産的に動くこと)」なのです。
重要なのは、その顧客の事情を顧慮し真の価値を見出し、それを提供することです。
ある中堅潤滑油メーカーは、ただ潤滑油を売るだけでなく、機械のメンテナンスについての分析を行い、計画を立て、保証を与えることによって、競合大手石油メーカー以上のシェアをほこることになります。

あまりにも当たり前のことで下らないと思われるかもしれませんが、勝ち残る企業において重要なのは、賢いことではなく、愚かでないことです。
難解なことを考える力ではなく、当たり前のことを考えられる力です。
顧客視点で顧客の事情を酌み、顧客が何を買うかということを考えれば必ず勝てるにもかかわらず、企業はつねに自分の事情である製品とコストしか見ていないため、それに気付きません。

以上のように、顧客にとっての効用、価格、事情、価値からスタートすることが、マーケティングのすべてです。