ドラッカーの『イノベーションと起業家精神』(2)

(1)のつづき

第三の機会、ニーズを見つける

第一、第二はすでに存在する活動についてのイノベーションの機会でしたが、ニーズの発見というものは未だ存在しないあらたな活動に対しての機会です(厳密には程度の問題ですが)。
「必要は発明の母」であるように、ニーズはイノベーションの母であるわけです。

しかし、ただ単にニーズを見つければ良いというわけではありません。
ニーズに基づくイノベーションを生むには三つの条件があります。
1、漠然としてではなく、そのニーズが明確に理解され、限定的で具体的な目標設定が可能であること。
2、イノベーションに必要な知識や情報が入手可能であること。
3、ニーズに対しての解決策が、それを受け入れ活動する当事者の仕事の方法や価値観にある程度合致していること。
缶切りを持たない人に缶詰を支給したり、生食文化をもたない人々に刺身を贈っても、腹は満たせません。

第四の機会、産業構造の変化を知る

産業や市場の内部にいると、ある種の認知のバイアスがかかって、その構造が安定的に見えます。
しかし、それらの構造は元来非常に脆弱で不安定なものです。
適者生存というわけではありませんが、常に環境の変化に対し臨機応変に対応するもののみが生き残る厳しい世界です。

産業、市場構造の変化は、その業界に関わるすべての者に対しイノベーションの機会を与え、起業家精神を要求します。
全ての人間が「私の事業とは何か」という本質を自己に問い直し、その要求に応答せねばなりません。
内部の者にとってそれは乗り越えるべき危機と脅威であり、外部の者にとってはまたとない飛躍のチャンスです。

この外部者のイノベーションは、その産業が少数の者によって支配されている時、非常に大きな効果を持ちます。
長い成功の時間が傲慢を生み思考を固化し、自分達の方法が急速に陳腐化し機能不全に陥りつつあることに気付けません。
兎と亀の寓話のように、力のない無名の新参者を見くびっているうちに、あっという間に逆転されてしまいます。
適切な方法というものは常に変化しており、大成功をおさめた方法も明日には時代遅れのものになっています。

第五の機会、人口構造の変化を見る

産業構造と同様に人口構造についても、その急激な変化を見落とされやすく、新しく参入しようとする起業家にとってイノベーションの機会になります。
唐突で不可思議な人口構造の変化そのものは予測が難しいにしても、構造変化が社会へ直接影響を及ぼすまでのリードタイムが存在するため、ある程度予測可能です。
新生児は学校教育を必要とするまでに7年、消費者となるのに15年、労働者になるまでにおよそ20年かかります。

第六の機会、認識の変化をとらえる

ここでドラッカーのあの名言が登場します。

コップに「半分入っている」と「半分空である」とは、量的には同じである。だが、意味はまったく違う。とるべき行動も違う。世の中の認識が「半分入っている」から「半分空である」に変わるとき、イノベーションの機会が生まれる ~上田淳生訳

かなり適当に理解(誤解)されている言葉なので、やや形式化して解説します。

たとえば、有名なだまし絵「ルビンの壷」は、その線の外を見るか内を見るかによって、人間の顔と壷というまったく別のものとして認識されます(ゲシュタルト反転)。
それと同様、コップの水も水面の線の下を見れば「入っている」、上を見れば「空である」というゲシュタルトの反転によって、そのものの持つ意味が大きく変わります。

これを社会に当てはめると、外的な状況や条件がまったく変わらない時でも、人々の認識の変化によって、なんでもなかった環境が、急にイノベーションの機会となりうるわけです。
その認識の変化をとらえることが、イノベーションへつながるというのが、この言葉の主旨です。

具体例で言えば、1960年からの20年間においてアメリカ人の健康は未曾有の増進を見せます。
1960年には0ccであったカップに100ccの水が注がれた「入っている」状態です。
しかし、喜ぶ間もなく、ここで人々の認識の反転が起こり、それが「半分空である」ととらえられはじめます。
健康の増進への欲求は、不老不死への欲望へとシフトします。
いわゆる健康ノイローゼの社会化です。
もし私が外的に豊かになった健康状態のみを見て、この人々の認識の変化をとらえられなければ、わたしはこのイノベーションの機会をみすみす逃すこととなります。
明敏にこれらを察知した者は、健康雑誌、サプリメント、自然食、ジョギング用品、等々、それらをここにおいて大きな産業として成長させました。

第七の機会、新しい知識を活用する

発明や発見などの新しい知識に基づくイノベーションは、社会的に大きな影響力をもちます。
しかしその反面、知識によるイノベーションは実を結ぶまでのリードタイムの長さや、不確実性、成功率などの諸問題において、他のイノベーションよりも大きな困難を抱えています。
特に新しい知識が技術として応用できるまでには長い時間を要し、その技術が市場の製品やサ-ビスとなるまでにはさらに長いリードタイムが必要です。
一般的にそれは四半世紀ほどの時を費やします。

また、知識によるイノベーションは、基本的に複数の異なる知識の結合によって起こります。
パソコンでいえば、二進法、記号論理学、プログラムとフィードバック、パンチカード、三極管、等々の知識と発見の結合であり、ひとつでも欠けていればそれは時期尚早となり、生まれ落ちることができません。
いかなる知識が必要で、いかなる要因が欠落しているかをつねに明確に分析せねばなりません。
時にイノベーションを行う者がこの欠落を自覚し、自らそれを生み出すこともあります。

しかし、いくら新しい知識の結合によってイノベーションを生んだとしても、成功にはいたりません。
それには「戦略」と「マーケティング」というものが必要になります。

電球の製造に必要な発明を行ったのは、エジソンだけではなかった。イギリスの物理学者ジョセフ・スワンも同じような発明を行った。スワンはエジソンと同時期に電球を開発した。技術的にはむしろ彼の電球の方が優れていたが、エジソンは技術的なニーズを研究しただけではなく、その後の戦略についても徹底的に検討した。ガラス球、真空、密閉、フィラメントなどの技術的な研究に着手する前から、システム全体の構想を描いていた。自ら財務的な支援を行っていた電力会社の電力に合った電球を考え、利用者に電気を引く権利や、電球の流通システムまで構想した。
スワンは科学者として製品を生み出したが、エジソンは産業を生み出した。そのため、スワンが自らの技術的な成果に関心を持ってくれる人を探している頃、すでにエジソンは電力を売っていた。 ~上田淳生訳

こうして知識に基づくイノベーションが生じ、新たな産業が起こると、数年間の開放期が訪れ、熱狂と共に事業の乱立が見られます。
これは時間との戦いです。
新規参入が可能な開放期の間は非常に狭く、かつ逃せばチャンスは二度とやってきません。
上述の他のイノベーションにおいては、誤りを修正する時間もチャンスも十分にありましたが、新発明や新技術によるイノーベーションにおいては、イス取り合戦のように一瞬の隙で立場を盗られてしまいます。
仮にここで勝ち上がったとしても、その後、厳しい整理期に入りそれらは淘汰され、ごくわずかな企業のみが生き残ることになります。

また、いくら優れたイノベーションでも、タイミング(機が熟す時)という不確定要素が必要であり、偶然にも左右されます。
ドイツ人にとって電話の発明者はベルではなくフィリップ・ライスであったにもかかわらず、社会の受容のタイミングと合わず、15年後のベルまで待つことになります。

このように魅力も実りも多い知識によるイノベーションは、その分ハイリスクであるわけです。
この大きなリスクは、私たち自身の世界観や生き方までを変えてしまうほどの技術や力を得るための代価なのです。
勿論、起業家やイノベーターはリスク志向のギャンブラーではありません。
むしろ彼らは非常に保守的で、リスク回避を志向するがゆえに、環境の悪化した土地に住み続けるリスクより、新しい土地へ移住するリスクをとるのです。
昨日を守るより、明日を作ることを選ぶのです。
イノベーションに成功する者は、リスク志向なのではなく、機会志向なのです。

(3)へつづく