ハウツー本『「ない仕事」の作り方』みうらじゅん

名前を付けて「ない」を「ある」にする

事物の存在というものは、基本的にそれに名前を付けることによって成立します。
なにかある事物が発見された瞬間、個人のノートであれ公の国語事典や百科事典であれ、かならずそれは言葉として何らかの形で記載されます。
人間であれば生まれた時に必ず名前を付けられ、役所の戸籍謄本に登録されます。
事物の存在=名前なわけで、その生成は同時的です。

例えば有名な話ですが、「肩こり」というものが特定の文化特有のもので、肩がこらない国の人たちもたくさんいると言います。
しかし彼らは別に物理的に肩がこっていないわけではなく、それに名前を付けていないから認識できず、「肩こり」が存在していないだけのはなしです。
昔、ある日本のどこかのあるお医者さんが、何となくある肩の張りや違和感に対して「カタコリ」と名付けたその瞬間に、肩こりが生まれます。
いままでなかった「肩こり」が生まれたことによって、肩こりに対しての療法という仕事も生ずるわけです。
精神科医がある人格特性に病名「~症」を与える(名付ける)ことによって、医者自らが病気を創り出し、同時にその治療行為(仕事)を生みお金を儲けるというマッチポンプ的な方法がよく批判されますが、これも同じ理屈です。

仕事が「ない」のであれば、そうやって自分で「ある(存在)」を創出すればいいというのが、みうらじゅんの発想です。
例えば、あるとき彼の目にとまったのが、地方の物産展などに必ずいる不思議な着ぐるみのキャラクターです。
近所のフリーマーケットの看板に描かれたような素人くさいキッチュなデザインで、家に帰ればもう忘れ去れらてしまう哀愁漂うキャラクターたちです。
しかし彼はそれに「ゆるキャラ」という積極的な名前(存在)を与え、注目の対象としたときから、むしろその素人くさいゆるさを楽しむ愛すべきキャラクターとしての存在が確立されます。
ある年のある県のゆるキャラ一体の経済効果の試算は1000億円にもなったそうです。

名前を変えて「ない」を「ある」にする

ある事物(=名前)に与えられる意味内容は、その歴史的な時間の経過と共に積もり変化していき、年輪のように重層的な意味や価値をもちます。
どんな言葉も生まれた瞬間は無垢で、ある悪い言葉(例えば「食人」や「姦淫」)があったとしても、その言葉そのものには決して罪はありません。
その言葉に対して持つネガティブなイメージは、ネガティブな歴史経験が積み重なったことから生ずるものです。
ハーケンクロイツや旭日の記号そのものに問題があるのではなく、それに付加された歴史的な偏見が問題なのです。

裏を返せば、そのネガティブなイメージから即「これはないな」と思われる存在(=名前)を、その名前を変えることによって「これはありだな」と思わせることもできるわけです。
ダサいコンプレックスである「童貞」というネガティブな言葉を、「DT」と言いかえることによって、その青さをポジティブに楽しむという新たなスタイルを提示できます。
「ブーム」という趣味の巨大な流れに押され隠れてしまう個人のマイナーな趣味も、「マイブーム」と言いかえられることによって、その存在を対等かつポジティブに主張できるようになります。
「韓国」では抵抗のある人にも「K-POP」なら受け容れやすくなりますし、ださいの代名詞であった「セカンドバッグ」も、おしゃれな「クラッチバッグ」として生まれ変わります。

「新しい」ということは、古くからあるものが積もった塵や垢を洗い流すことによって、新しく見えてしまうということです(カール・バルト及び鈴木大拙)。
誰も見向きもしなかった醜い灰かむりの女が、風呂で垢を落とした瞬間に、見違えるような美女になるおとぎ話のように。

組み合わせを変えて「ない」を「ある」にする

ある事物(=名前)に与えられる意味内容は、その置かれる状況や隣接するものとの関係性により決定します。
その関係性を意図的に変えることによって、「これはないな」と思われる存在(=名前)を、「これはありだな」と思わせることもできるわけです。

台所にある調理器具などは、こどもたちによって空き地に移動させられた瞬間から、お玉は剣になり、鍋は兜になり、蓋は盾になり、ほうきは乗り物になります。
牛乳瓶の蓋はメンコとそのコレクションアイテムになり、容れ物である空缶は蹴る物や履く物(木履、ぼっくり)に用途が変化します。
ペンで落書きされた教科書の偉人の写真も、美術館という状況に置けば、マルセル・デュシャンの「L.H.O.O.Q」のように新しい意味と価値をもちます。

どうにもなら「ない」ものも、この組み合わせの妙技によって、どうにかな「ある」ものにできるわけです。
コンテクストモンタージュブリコラージュの項を参照)

結論

本書のP.75で彼は『言葉の力だけで解決できることは、実は意外と多いのではないかと私は思っています。』と書き、ネーミングによって暴走族をなくす方法を提案しています。
しかしこれは暴走族レベルではなく、下手をすると戦争や人種差別の問題などにも適用されうる非常に重要な考え方だと私には思えます。
コピーライターが世界を救う日も近い!?(笑)