フッサールの『危機』

ヨーロッパの諸学の危機

19世紀後半にもなると、実証科学的世界観が西洋を覆い、独占的ともいえる繁栄をもたらします。
客観性や事実に依拠する実証的な学問には、確かな実りを与えてくれる大きな魅力があります。
しかしその反面、それは人間的な問題への無関心を生じさせます。
実証科学的な成果が人間をものみ込むような科学技術のぶつかり合いである大戦という重い空気の中で、ハイデガーの人間くさい実存哲学が多くの人々の支持を得たのもそこに理由があります。

そんな状況をフッサールは諸学の危機であると同時に、西洋人の生存形式の根本的危機とも見なします。
古代ギリシャからはじまる哲学的理性に由来する「人間」が、実証科学という「事物」学にその存在理由を奪われるとき、それは人文知そのものの存在理由を失う危機でもあるわけです。

科学の基礎付け

技術というものはそれを産出した文化や背後にあるコンテクストから切り離すことが出来ます。
だからこそ普遍的で客観的な技術として万人に開かれたものとして、急速に拡大していきます。
しかし、本来人間にとって科学技術の意味とは、それを生み出した時の人間の文化やコンテクストに規定されているはずです。
この関係性を無視する時、技術と人間との乖離が生じ、本来の意味を失った技術はむしろ人間に対する敵対者として現前してきます。
また、それは裏を返せば科学技術が根拠を失った脆い空中楼閣となる技術自体の危機でもあります。

これら危機を克服するのは科学が自らの起源を自覚し、科学が基礎付けられたときです。
科学以前の世界にたち戻り、科学の誕生の現場において科学の意味を再構成することです。

生活世界

この科学以前の世界とは、端的に私たちが直接的かつ直感的に経験する「生活世界」です。
つねにすでに与えられている自明性の世界であり、理論や理念の根源的な基盤とせざるをえないものです。
「生活世界」は現実に踏みしめられる大地であり、「科学的理念の世界」はそれに対する地図(類型化された似姿)のようなものです。

例えば、私が星空を見ているとき、科学者がやってきて「あの星は20万光年先からやってきた光で、今はもう消滅した星を私たちは見ているんだよ」と言います。
私がいま見ている瞬く星という「生活世界」における生きた経験は仮象であって、真の実在は「今はもう消滅した星」というわけです。
しかし、「今はもう消滅した星」は、いま目の前に輝く星という生活世界における現象(明るさや色や視直径や年周視差など)としてあらわれるデータ(具体経験という素材)をもとに推論された仮説(仮象)でしかありません。
クーンの項で説明したように、変則事例が現れればすぐに変更される仮説的真理です。

本来は生活世界が先で、その後に科学的真理が立てられるにもかかわらず、いつの間にかその意味基底は忘れ去られて転倒され、科学的理念が客観的に自立する真実在とされてしまうのです。

勿論、だからといって一方通行的に生活世界が優位というわけではありません。
生活世界から生じた諸々の科学的理念は、やがて生活世界の中へと定着し常識となり、生活世界の一部としてそれを内側から支えることになります。
科学的理念は常識となり、常識を継ぎ足された生活世界がまた科学的理念を生み出すというサイクルを描くわけです。

自然の数学化

実証的学問がその客観性と普遍性を追求する中で見出したのが、自然の幾何学化と数学化です。
それらの科学観に慣れ親しんだ私たちの多くは現在進行形で、まるでそれが実在であるかのように取り扱ってしまいます。
しかし、点や線や面など、現実にはどこにも存在していません。
厚みのない面、幅のない線、面積のない点、などは存在しえず、それらはただ私たちの頭の中にあるだけのものです。

生活世界における土地(ジオ)の計測(メトリー)の中で、真っ直ぐなものや、図形的なものや、測量点のようなものなどから、その理想となる極限-形態のようなものがその本質として抽出され、幾何学(ジオメトリー)的理念(イデア)が生まれます。
土地測量という生活的な実践術が理念(イデア)化されて「幾何学」が生じ、今度はその幾何学が反対に現実の土地測量を規定しはじめ、いつの間にか幾何学の方が優位に立つことになります。

空間や時間の数学化だけでなく、やがてそれは質にまでおよび、あらゆる主観的経験が数学的に記述されはじめます。
光の波長や空気の振動、神経細胞の電気信号の測定まで、それは知覚や心の領域にまで拡大し、自然と人間を規定していきます。

危機

あくまでたった一つの方法論でしかない現行の数学的物理学的ルールの枠内(パラダイム)で模写された自然の地図を、人間はいつの間にか客観的な真の自然(真の実在)と考え始めます。
まるでメルカトル図法のいびつな世界地図を見るグリーンランドの少年が、アフリカ以上の大きな大陸で自分は現実に生活していると思い込んでいるようなものです。

自然の数学化は今なお加速し続け、いずれコンピューターによる大規模な統計とシミュレーションが、「生活世界」の存在を垣間見ることすら出来ないほどに覆い尽くすことでしょう。
フッサールの案じた『危機』のまなざしが第二次大戦へ向いていたように、現代人にとってのあらたな『危機』を回避するためにも、もう一度それを見直す必要がありそうです。

 

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