マルクスの『資本論』(3)資本家と労働者

(2)のつづき

資本と資本家

通常の経済的営みを図式化すると「商品→貨幣→商品」となります。
仕立て屋である私は服という商品を貨幣に交換(販売)し、今度はその貨幣で生活を維持するために必要なものと交換(購買)します。

けれど、この図式を変えて、貨幣そのものを目的とすることもできます。
「貨幣→商品→貨幣」となり、使用価値として必要だから商品を買うのではなく、売るためだけに商品を買うという行為です。
需要と供給の変動を見ながら、安いときに商品を買って、高いときに売れば、その差額が儲けになります。
土地ころがしや株の売買などが典型です。

一見、これによって価値が増殖したように見えますが、この方法は単に他人のお金を自分の懐に入れているだけで、イス取り合戦のように私の儲けは誰かの損失であり、全体で見ると価値は釣り合っており、別に上昇しているわけではありません。

あくまで商品の基本的な「価値」だけに則した「貨幣→商品→貨幣」のサイクルにより、商品に内在する力によって自己増殖する価値を「資本」といい、これを遂行する人を「資本家」とよびます。
(後に述べますが、労働力は価値を増殖させ変動させるため「可変資本」、生産手段は価値移転はしてもトータルの価値に増減がないので「不変資本」とよびます)

この、等価交換であるにもかかわらず価値を増大させる資本という謎を解くことが、資本論の大きな目的のひとつになります。

労働力商品

その謎を解く鍵は、資本家は労働力を商品にすることが出来るということにあります。
「貨幣→労働力商品(労働者)→貨幣」、お金を労働力と交換(雇用)して、労働力によって貨幣に交換する生産物を作るということです。

資本主義社会に生れ落ちる人間は、万物が誰かの所有物である世界にいきなり参入します。
何か生産して生活の糧にしようとして、生産手段を見渡すと、すべて他人のものです。
作物を作るための土地も、種も、水も、馬も、農耕具も、生産手段すべて誰かのもので、それと交換するためには貨幣が要ります。
だから親の貨幣や生産手段を相続しない限り何も持たない人間は、自分の労働力を売るしか方法がない訳です。

資本家とは生産手段をたくさん持ち労働者(労働力商品)を買う人で、労働者とは生産手段を持たないために自分自身を労働力商品として売る人です。

労働力の価値

商品販売の第一の目的はその商品の生産の継続、再生産です。
私が仕立て屋であった場合、服を売って「商品→貨幣→商品」のサイクルを繰り返し、自分の生活を維持することが基本的な目的です。
店やミシンのローン、材料費や私の食費に生活費など、次の洋服を再生産するための費用がまかなえないなら、仕立て屋としてやっていけません。

それと同じように労働力商品の対価(交換に必要な貨幣価値)も、それの再生産可能性が基準になります。
衣・食・住、扶養家族の養育費や職業技能の獲得と維持に要する費用等、労働者(労働力商品)が生存しかつ生産力を維持できる程度に健康であって、繰り返し再生産のサイクルに乗ってくれる程度の対価です。
労働力の価値とは、労働力の再生産費によって決定するということです。

(4)につづく