フロムの『自由からの逃走』(1)権威の心理学

心理/精神 社会/政治

 

内在化される権威システム

強力な権威というものは、被支配者を外的な力によって隷属させるだけでなく、権威を無意識にまで内在化させることによって、内と外から強力な二重の鎖で支配します。

外的な力のみで他者を支配しようとすれば、強制手段を物理的に維持するために非常に大きなコストがかかります(警察や軍の維持拡張など)。
また、外的な強制では被支配者のモチベーション低下により生産性が落ち、また被支配者のフラストレーションが溜まり権威への反逆というリスクが増大します。
そこで心理的に権威を被支配者の中に内在化させることによって、「自発的隷従」を生み出す方法をとるのです。

 

超自我と転移

フロイトの精神分析に例えれば、父という権威が被支配者である幼児に対し、去勢という恐怖を手段にして、父という権威のルール(法)を無意識に植え付けます。
いわゆる「超自我」の生成です。
幼児はその後成長しても、その無意識に植え付けられた「超自我(内在化された権威)」のルールに自発的に従いながら生きることになります。
いわゆる「良心」です。

さらに重要なことは、被支配者はこの内在化された権威のルールによって世界を見る(内界を外界に投射する)ため、仮に外的な権威が失墜したとしても新たな別の外的な権威にそれを転移し、支配-被支配の権威システムは維持されます。
父から教師へ、教師から別の教師へ、教師から上司へ、上司から為政者へ、為政者から神へ、等々。
父親に似た異性を転々とする恋多き女性は、異性その人ではなく、失われ内在化された父を求め続けているのかもしれません。

 

自動化する自我

自発的隷従者は、内在化された権威の枠組みで世界を解釈し、その解釈された世界観が生む現実経験がまた自己の無意識へ取り込まれそれを強化するという、崩しがたい強固な自己サイクルを作りあげます。
「超自我とは内在化された権威であり、権威とは人格化された超自我である」ということです。

自発的隷属といっても、字義通りその人が主体的に隷属を意志、決断しているわけではありません。
あくまでもそれは内在化された無意識のうちの意志決定の過程で、本人はそれをまったく自覚していません。
上の例の恋多き女性は、知らず知らずのうちに父に似た異性を選択してしまっているのです。
外部の権威と無意識の超自我に依存する者は、その狭間にある自我(主体的な意思決定)を必要とせず、自我なき人格はほとんど催眠状態にも似た自動人形のような観を呈します。
「自発的隷従」というより「自動的隷従」といった方がいいかもしれません。

 

権威主義的性格

以上のような心的な構えをフロムは「権威主義的性格」と分類します。
フロイトの言うサディズム(主人・加虐者)-マゾヒズム(奴隷・被虐者)的性格です。
基本的にサド-マゾ性格は表裏一体のもので、相対的に立場が変わります。
君主のためならあらゆる苦痛もわが献身の快楽として引き受け、時に命をも捧げるマゾヒストである兵士が、捕虜や被差別者や女子供のような弱者に対しては非常にサディスティックな暴力的支配を行うのがよい例です。

サド-マゾ性格の人は、権威の力によって自己が動かされるという世界観を持つため、個人の力や自由意志を信じられず、つねに無力感や虚無感をなんとなく気分という状態性でもつこととなります。
無力であるがゆえに非常に保守的かつ排他的で、運命や戦争という圧倒的な力に耐え忍ぶことがヒロイズムとなります。

世界の中でよるべなき無力な私の前に、強い指導者の王冠をかぶった道化があらわれる時、私はそれにしがみつき、奴隷として自己を放棄することによって強者と一体化し安心を与えられます。
それと引き換えに自己の主体性は剥奪され、魂なき自動人形としての生き方を選択することとなります。

 

 

(2)へつづく