現象学とは何か

普通に言えば、私の目の前に現れる象(かたち)である「現象」の成り立ちを解明する学です。
しかし、実際的には「現象」優位の学と言ってもよいかもしれません。

普通は先ず世界に対象物「存在者」があって、それが光や音などを媒介して私の感覚器官に「現象」として現われ、対象が「知覚」されるという構図です。
しかし現象学はこの逆の立場を取り、私の目の前の諸「現象」が「存在者(対象)」を作り出す、という観方です。

例えば『おぼっちゃまくん』というマンガに、びんぼっちゃま君というキャラクターが出てきます。
彼は貧乏で服が買えないから、前半分だけの生地でスーツを作っています。
前から見た人には現象A「仕立てのいいスーツ」を通して、彼を「御曹司」という存在者として認識します。
しかし、うしろにまわると現象B「アカで汚れた尻」があらわれ、今度は彼を「貧乏人」という存在者としてその認識を作り変えます。

また、古代ギリシャ人は現象A「夜明けに輝く明るい星」を通して、その星を存在者「フォスフォロス(あるいはイオスフィルス)星」と認識します。
そして現象B「夕暮れに輝く明るい星」を通して、その星を存在者「ヘスペルス星」と認識します。
しかし、天体観測の精度が上がり現象C「それらの星の大きさの変化や満ち欠け」があらわれると、今度はそれら別々の星であった存在者が、現象ABCを通して、ひとつの星「金星」という存在者に作りかえられます。

以上のように、存在者というものは諸現象から推論的に仮説される可変的な仮設物でしかないわけです。
仮にすべての現象をあつめれば、真の存在者にたどり着けると思われるかもしれませんが、現象というものは無限にあるため原理的にそれは不可能です。
50年間ずっと自分がお母さんだと思っていた存在者が、死ぬ間際になって私が捨て子であったことを証示する現象「汚れた産衣と産みの母からの手紙」を見せる時、50年間数え切れないほどの現出を通して自明だったお母さんは別の存在者へと作り変えられます。

アポロの月面着陸がアメリカの捏造だというトンデモ説を多くの人が信じるのは、私たちが直感的に存在者の不安定な仮説性を感じ取っているからです。
地球が丸いという現象を目の前の現象として見た人は数億分の一という確率です。
ほとんど全員が見てもいないのに、私たちほぼ全員が「丸い地球」を絶対的に確実な存在者として認識しているわけです。

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