アリストテレスの形而上学

※本項の前に必ずプラトンのイデア論をお読みください。

形相(けいそう)と質料

理想(イデア)主義者プラトンの弟子である現実主義者のアリストテレスは、イデアが現実の個々のものを離れて存在するという師の考えを批判的に検討し乗り越えようとします。
イデアは現実と切り離しては存在できないものであるという現実優位の立場であります。

ここでアリストテレスはイデアの代わりにその同根の語である「エイドス(形相)」を使用し、その対概念としては「ヒュレー(質料)」をおきます。
プラトンの「イデア-現象」の関係に対応するところの、アリストテレスの「形相-質料」です。
「形相」とは、それが何であるかという、いわゆる本質にあたるものです。
「質料」とは、それが何でできているか、といういわゆる素材にあたるものです。
質料という素材を形相という本質(設計図)によって形作り、現実の個々のものが成立するという考えです。
例えば、犬の形相を犬の遺伝子情報とするなら、犬の質料はその素材であるたんぱく質というところでしょうか。

可能態(デュナミス)と現実態(エネルゲイア)

現代にいたる「可能性と現実性」という重要な思考の枠組みを生んだ概念です。
犬がまだ母犬のおなかの中の受精卵の状態のときすでに、遺伝子情報という形相によって将来犬として成長することが可能態(可能性)として包蔵されています。
その可能態が生成し犬となった時、それを現実態(現実性)と呼びます。

例えば竹で尺八を作るとき、尺八の本質はイデア論のように外部にあるのではなく、「ある太さのある節の間隔に成長した真竹の根元」という素材そのものの中に、可能性として尺八の本質が眠っているという考え方です。
ミケランジェロが大理石の塊を見た瞬間に完成形を直感したように、ある日ある人がある竹を見た瞬間にそれが笛になるという可能性をその中に見出すイメージです。

この可能態という概念を導入したことにより、イデア論のように本質を外部に設定することなく、現実の個物に内在するものと説明ができます。

存在論と純粋形相

この可能態としての本質の包蔵という考えを措定すると、必然的に形相と質料の相対化が生じます。
形相と質料はあくまでも切り出し方、ピックアップする場所の違いで変化するものとなります。
尺八という形相の質料は竹ですが、竹という形相の質料は炭水化物であり、炭水化物という形相の質料はその構成元素(C.H.O)になります。
尺八を質料とみなせばその形相は音楽になり、音楽を質料とみなせばその形相は芸術的営みです。
こうして形相の形相の形相…、質料の質料の質料…という類-種関係の連鎖が生じます。

この質料の質料の質料…という先には「存在そのもの」という難問が待ち構えており、それは存在論へと導きます。
そして形相の形相の形相…という先には「純粋形相」というどんな質料をも必要としない完全な究極の形相にたどり着きます。
「純粋形相」とは最終の目的因であり全ての本質であり、すなわちそれは神であり、質料という現実を超越した存在としてあるという意味では、師であるプラトンのイデア論と同じ着地点にいたります。

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