ニーチェのルサンチマン

生の逆流

何らかの流れの前に障害物が現れれば、ふつう流れは方向を変えてなお流れつづけます。
しかし、それが八方ふさがりで方向を変えることすらできなくなった時、鬱血したその流れはやがて反転して逆流します。
人間の生のエネルギーの流れにも同様のことが起こり、この反転し逆流した生のなかで生きることを「ルサンチマン(怨恨、復讐感情の意)」をもつといいます。

この歪んだ生のなかで用いられるレトリックが「価値転倒」です。
現実においては弱者であるはずの人が、想像上の価値転倒によって立場を反転し、強者となります。
ここで重要なことは、その想像上の価値転倒が無意識的に行われ、その過程が本人に自覚されないということです。

具体例

例)
いじめられて可哀相な私がいる。
でも現実で私は弱く、反抗の行動が起こせない。
(ここで無意識的に想像上の価値転倒が行われる)
人をいじめる人は心の病んだ不幸な人だ。
だから可哀相なのは私じゃなくていじめっこの方なんだ!
可哀相ないじめっこが幸せになれるようお祈りしてあげましょう。
(「~してあげる」には相手の上に立つという意味が含まれる)

例)
貧乏で苦しい私がいる。
でも現実でお金持ちになれない。
(ここで無意識的に想像上の価値転倒が行われる)
お金持ちの世界は物に追われ、ギスギスしていて心が貧しくなる。
だから本当に貧しいのは私じゃなくてお金持ちの方なんだ!
心の貧しいお金持ちのために、心の裕福な私がお祈りしてあげましょう。

例)
ある女性とセックスしたい僕がいる。
でも奥手な自分は現実でその女性と関われない。
(ここで無意識的に想像上の価値転倒が行われる)
快楽のためのセックスなど不純だ。
肉体目的の愛など本当の愛じゃない。
本当の愛はプラトニックで肉体関係を必要としない。
だから僕は彼女に群がる男どもを蔑み、ただ遠くから彼女の幸せを祈る。

文化に蔓延するルサンチマン

「ルサンチマン」は、フロイトが文化の本質という「昇華」の概念に近く(極度に反動的な昇華)、人間の文化の中に深く根付いており、むしろこれをまぬかれることは不可能に近いものです。

いわゆる反面教師や自虐、「昔ひどい上司に苦しめられたから私は部下を絶対に大切にする」もルサンチマンです。
「戦争によって私の周りの人たちが多く殺された、だから私は医者になって多くの人の命を救う」もルサンチマンです。
また逆に(まさにニーチェその人ですが)、父が牧師で母は教師、厳格な禁欲生活を価値として植えつけられた人間が、後に価値転倒して奔放に欲望を謳歌することを叫ぶのも、ルサンチマンです。

ルサンチマンの問題点

では、ルサンチマンの何がいったい問題なのでしょうか。

それは第一に想像上の解決であるため、現実を具体的に変えていく可能性を奪われてしまうことです。
いじめがあれば、現実で自分が強くなったり、先生と相談したり、具体的なアクションを起こさなければ、問題は解決しません。
想像上の安易な解決は自分の中だけでの自己欺瞞的なものに終り、永遠に現実は変わりません。

第二にそれが無意識のうちに形成されたものであるため、意識的な制御がきかず、非常に病的で駆り立てられるような衝動のなかで動いてしまうことです。
そこでは客観的な思考力は奪われ、空回りする非建設的で破壊的な行為しか生じません。
あらゆる善意に対して「偽善」と叫ばなければ気がすまぬ人、すべての人間に優しくせねば不安になる人、些細な性や暴力の発露にすら過剰な糾弾(例えば処刑)で応じる人、等々。

第三に価値が転倒されたり変形されているため、問題ある箇所の改善がずれてしまうということです。
戦争によって苦しめられたなら、戦争を無くすように動き出すのが問題の解決です。
戦争で人が苦しめられたからといって、代わりに医者になって人を救ったとしても、戦争は永遠に終わりません。

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