ベンヤミンの『暴力批判論』

本書のねらい

暴力批判論の目的は、暴力と法と正義の関係を描くことです。
いわば暴力の歴史哲学的記述です。

自然法的暴力と実定法的暴力

自然法的な暴力とは、目的が正しければ手段である暴力も正当化されるという考え方です。
例えば、生存競争で生き残るために競争相手に対して暴力を使用することなどです。
この暴力の正当化の判定基準は、目的の「正しさ」です。
特に万人が持つ権利として普遍的なものです。

これに対して実定法的な暴力とは、手段が合法的に正しい手続きで決定されれば目的も正当化されるという考え方です。
例えば、国民投票の多数決で隣国への武力行使が決定したなら、それは正当化された暴力と判定されます。
この暴力の正当化の判定基準は手段の「合法性」です。
特に国家がもつ相対的な権利です。

仮に実定法的国家以前に、人間集団同士が自然法的な暴力で争いあっていた世界があったとして、その中でも強力な集団Aが他集団を打ち負かし、「国家A」を建国したとします。
それにより、自然法的な暴力が支配していた世界から、実定法的な暴力が支配する世界へ変化します。
実定法的暴力は合法な暴力として認められ、以前の自然法的暴力は違法なものとして認められなくなります。
いわば個人の利害に基づく暴力は完全に抑圧され、法(国家)によって暴力は独占されます。

法措定的暴力と法維持的暴力

では、この合法暴力と違法暴力の区別の正当性は何によって保証されているのでしょうか。
端的にこれは戦争で勝った集団が建国時に措定した法によってです。
いわば、勝ったものが正当になるという暴力の歴史のリアルな証明書によってです。
この際に使用される暴力を「法措定的暴力」といいます。
戦争時に使用された法措定的暴力は、法措定後に法権力という形に姿を変え維持されます。
これと同時に血塗られた法措定的暴力の出自の記憶は隠蔽され、やがて法の根源にある暴力性は不問とされます。

法措定的暴力が法権力に形を変えると同時に、「法維持的暴力」が発生します。
これは単純に、法を破る者を刑罰という名の暴力によって、排除、矯正するシステムです。
分かりやすくいうと警察です。

しかし、これは一見すると法を遵守させるための暴力に見えますが、実際は法権力システムそのものを守ることが目的になっています。
個人が使用する違法な暴力とは、法措定以前の自然法的暴力が発露することです。
いわばせっかく戦争に勝って法措定した集団Aを脅かす、新たな法措定的暴力の芽が出現したということです。
国家は常にこれを恐れつぶします。
なぜなら、個人の法措定的暴力の発露は、無意識のうちに法権力の胡散臭さを読み取っている国民に、法措定的暴力の記憶を呼び覚まし、共感させるきっかけになるからです。
反体制の悪漢小説の主人公がヒーローとされる理由のひとつにそのあたりの要素も含まれます。

このようにして、国家は暴力のあらゆる歴史的記憶と出自を隠蔽し、権力の正当性を維持しつづけます。

神話的暴力と神的暴力

ベンヤミンはこの法措定的暴力を神話とのアナロジーによってとらえ、「神話的暴力」と名づけます。
そしてこれに対決する革命的な暴力として「神的暴力」を挙げます。
しかし、これについては具体的な記述がなく、ただ神話的暴力の否定概念として提示されるにとどまります。

「神話的な暴力には神的な暴力が対立する。しかもあらゆる点で対立する。神話的暴力が法を措定すれば、神的暴力は法を破壊する。前者が境界を設定すれば、後者は境界を認めない。前者が罪を作りあがなわせるなら、後者は罪を取り去る。前者が脅迫的なら、後者は衝撃的で、前者が血の匂いがすれば、後者は血の匂いがなく、しかも致命的である」(「暴力批判論」W.ベンヤミン 野村修訳より)

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