ベイトソンのダブルバインド(1)

理論

私たちが一般にコミュニケーションを行う意味世界には、階層・次元(レベル)がある。
低次のメッセージの意味を決定するための参照枠が、高次(メタレベル)のメッセージであり、通常の生活コミュニケーションの上には、高次のメッセージとしての種々のモードがある。
それらのモードを適切にとらえ選択することによって、私たちは社会に適応して生きることができる。
この適応能力が機能不全に陥るとき、その人間は社会的不適合者として精神的に病んだ人間と診断される。

この「メッセージの階層・次元を自由に昇降してメタレベル(高次元)の意味を把握する能力」の成長を阻害する状況を、二重の矛盾した拘束(命令)の中にあるという意味で「ダブルバインド(二重拘束)」という。

メタレベルのメッセージ、モード

まず、モードを分かりやすく一言でいえば空気あるいは雰囲気、いわば「空気を読む」能力です。
私たちは普段の生活コミュニケーションにおいて、なかば無意識的に種々のモード(空気)を把握し、社会的状況に応じた適切な言動を選択します。
遊びのモード、まじめのモード、空想のモード、比喩のモード、など。

モードが適切でない具体例としては、
・漫才のツッコミとして冗談のモードで叩いたつもりが、それをまじめのモードとして把握され真剣に殴り返されたり、泣かれたりする。
・恋愛のモードに入ったと思って「星空が綺麗だね」と男性が言ったら、冗談のモードだと把握して大笑いする女性。
・会議に遅刻した部下に対して怒りと嫌味のモードで「なんできた?」と訊ねる上司に対し、「車できました」と答える部下。

このモードというものは、通常の言葉によっては表現されえないため、必然的に上の階層(メタレベル)の表現を読み取ることによってしか把握できません。
表情、身振り、言葉の抑揚、場所、時間、等々、様々な文脈的な要素を複合的かつ瞬間的に推し量る、高次のコミュニケーション能力を必要とします。

自己の同一性

ベイトソンの言う自我の能力とは、メッセージの階層次元を自由に昇降し、例えばモード(状況)などを正確に把握し、それにあわせた言動によって自己同一性を社会の中で保つことができる力を指しています。
モードを読めずに、葬式では笑う、学校で裸になり、新人歓迎コンパで読書をする・・・。
葬式で不意に笑いそうになったり、暑くて学校で服を脱ぎたくなったり、飲み会がつまらなくて読書したくもなる時もありますが、普通の人ならモードを読んで我慢します。
教師は教師らしく、新人は新人らしく、人間は人間らしい同一性を保つことによって、社会の中で、自己の同一性をもった普通の人であれるのです。
この能力を阻害された人は、まるで精神が分裂したような、自我の統合能力を失調したように診られ、精神が病んだ人としてのレッテルが貼られてしまうのです。

2へつづく