ポパーの反証主義

基本理念

科学的理論(言明)の正当性は、それが正しいことの事例(証拠)を挙げる「実証」ではなく、それが間違いであることの事例の検討「反証」によって決定される。
反証事例すら挙げられない理論は科学ではなく、科学と非科学を線引きするものが「反証可能性」である。

帰納の不可能性

私たち人間は数百万年もの間、毎日太陽が昇るのを見てきました。
数百万×365回も実証された事実です。
しかしそこから明日も同じように太陽が昇るという確率を知ることはできません。
なぜなら明日という日は全く新しい事象であり、過去とは何の関係もないからです。
過去の事例を集めて帰納によって生み出した自然法則では、未来の予測は不可能です。
ヒュームが提起した帰納の問題です。

理論の正しさの証拠事例をいくら集めても、確実に正しいとは永遠にいえません。
なぜなら、どれだけデータを集めてもそれが有限数である以上、無限の世界には誤りの可能性が残るからです。
「誰も皆、同じ時間の流れの中にいる」という事例は、100万回でも観察できます。
しかし、光の速度に近い超高速という特異な条件の下では、それが反証されてしまいます。
「重い物と軽い物では、重い物の方が速く落下する」という事例は、100万回でも観察できます。
しかし、真空中ではそれが反証されてしまいます。
光速や真空などの特異な状況でも観察が可能な実験装置が発明されたことが、今まで未開であった無限の世界にある誤りの可能性を開いたわけです。

実証の不可能性

だから、理論の正しさは、反証事例を検討することによって基礎付けるべきものなのです。
「すべての人間は死ぬ」という言明の正当性は、亡くなった人の情報を何百億も集めて実証することではなく、 「不死身の人がいる」という反証事例の存在を検討することによって、判断すべきなのです。
検討してみて、実際に不死身の人が見つからない限り 、この言明は「正しい」のです。
いわば、理論は実証はされないが、反証は可能だということです。

仮説を演繹的に実証しようとした場合を公式化すると、「AならばBである」「Bである」よって「Aである」、となります。
しかし、じつはこれは演繹の皮をかぶった帰納であって、正当性をもちません。
「すべての人間は死ぬ」「ソクラテスは死ぬ」よって「ソクラテスは人間である」とした場合、ソクラテスは犬や猫の名前かもしれませんし、妥当ではありません。
「精神病者は脳に疾患を持つ」「ニーチェは脳に疾患を持つ」よって「ニーチェは精神病者である」は、正当な推論ではなく、たんに今まで精神病者が脳に疾患を持っていたという事例の枚挙から帰納された期待でしかありません。

逆に、仮説を演繹的に反証しようとした場合を公式化すると、「AならばBである」「Bでない」よって「Aでない」、となります。
これは端的に正当化されます。
「すべての人間は死ぬ」「ソクラテスは死なない」よって「ソクラテスは人間でない」、は妥当な推論です。

このようにして、帰納と実証の不可能性をかんがみて、ポパーは演繹と反証によって科学の当為を基礎付けようとします。

反証可能性

反証事例を挙げられない理論は、科学ではありません。
この「反証可能性」が、科学と非科学を線引きする重要な概念になります。

「人間のすべての行為は劣等感コンプレックスが原因である」という理論的言明は、反証事例が挙げられません。
劣等感などまったく持たずに堂々と生きている人を反証事例として提示しても、「それは劣等感の裏返しの表現で、表面的に堂々としているだけだ」と駁論されてしまいます。
しかし、反証できないものは、情報として全く意味をもちません。
「明日の株価は上がるか下がるかそのままかだろう」といわれても、反証不可能なのでなんの言明にもなっていません。
アドラーの研究所に勤務していたポパーの、心理学に対する強烈な違和感です。

例えば、「人間の全ての行為はエゴである」と言う時、エゴの反対概念が全て消失してしまい、それと同時にエゴという概念も意味を持たなくなってしまうという当たり前の事実に気付かないのです。
いわば、それはなんでもありの非科学的なファンタジーにのみ許された世界です。

科学は疑似科学に対して、その主張が間違いであることを指摘することによって批判しようとするわけですが、その方法では効力を持ちません。
なぜなら、科学自体が、つねに過去の科学理論の誤りを見出し批判的に乗り越え進歩するという当為だからです。
今ある科学的言明も、いずれは誤りとして、宇宙ロケットエンジンのように切り捨てられるものです。

だから正当な科学と疑似科学の線引きは、その言明が反証可能かどうかの構造的な問題の検討にかかっているわけです。
それは、この反証可能性の高い言明ほど、多くの情報を含み、優良な科学理論であるということです。
「あなたは風邪です(あらゆる気道感染の初期症状)」という言明より、「あなたはA型インフルエンザです」という病原が特定された言明の方が反証可能性が高く反証されるリスクが大きい分、たくさんの情報を与えてくれるのです。

結論

上述したように、延々と証拠を集めても絶対的に正しい真理にはたどり着けません。
ポパーにとって科学的真理とは、現段階であらゆる反証事例の検討に耐え抜いてきている仮説であり、いずれは反証される、暫定的な開かれた真理なのです。

帰納的推論のプロセスによって導かれた普遍法則を正当化することは不可能であるというヒュームの議論を受けて、ポパーは帰納を切り捨て、演繹のみによって科学を基礎付けようとします。
何らかの仮説を立て、そこから演繹的に導き出せる諸命題を検証し、それが反証された場合はその仮説を破棄し、新たな仮説を案出していくという進歩のプロセスです。

このように科学の進歩とは、実証ではなく反証を通して実現されます。